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2020年 02月 09日
思いっきり吐いた後は、新鮮な空気を吸わなければならない。 関わっていたあるプロジェクトが一区切りしたので、週末は病院で検査を受けた後、Mの施設に行き、その足で前から気になっていた「永遠のソール・ライター」展を観に行った。 ソール・ライター(1923ー2013)の名前は3年前に同じBunkamuraで行われた展覧会で知った。(だが、その時は急ぎの仕事で観ることができなかった) フライヤーのいくつかの写真を見て、似ているなと思った。 私は大学院時代、バラックや街の写真ばかり撮っていた。その方が建築よりずっと面白かったからだ。そして同好の志と現像した写真を見せ合っては、どこが面白いか話し合っていた。それはやがてHumorphology(ユーモア形態学)というY君達の論文へと結実した。(つまり路上観察学会の先駆けのようなことをしていた) 写真もただ被写体を撮るのではなく、街のおばちゃんや自転車なども入れて、街の空気が伝わるような写真を撮っていた。(それは今でも癖のように続いている) だが、実際に見たライターの写真は違っていた。 始めのコーナーに初期の数枚のモノクロ写真があり、一見すると素人写真のようだが、尼僧のコントラストや、切り取り方が既に違っている。当時から抽象表現主義の作家達との交遊があり、どこか絵画的だ。 50年代に本格的にカラーでストリートスナップを撮り始めると、それはさらに加速し、大胆な色面分割やコントラスト、ガラスや鏡のイリュージョン、アレ・ブレ・ボケも面白いと思ったら何でも取り入れる、ソール・ライターとしか言いようのないモダンで不思議な写真が全開する。(だが、これらの写真は個人的な楽しみとして撮られ、当時は誰も知らなかった) 驚くべきは、Harper’s Bazaarのような一流ファッション雑誌でも同様の試みをして、きちんとライターらしさを発揮したことだ。拍手喝采だ。 だが、次第に背後から指示され、自由な創造が狭められる状況に我慢できなくなり、’81にスタジオを閉めて忽然と消える。 彼が再び脚光を浴びるのは、それから四半世紀後、ドイツの出版社から(あの個人的な楽しみの全開した)写真集が初めて刊行されてからだ。 この展覧会ではそれ以外に自身のポートレートと彼の愛した二人の女性のポートレートが展示されている。妹のデボラと、人生を分かち合ったソームズだ。 この二人の写真はストリートスナップとは違って、もっとダイレクトで、ストレートな撮り方だ。写真家である前に、肉親であり、愛人であった、その姿をまざまざと感じる。 このポートレートとストリートスナップとの二つの間に、彼が心密かに撮りためたカラースライドを友人らと楽しんでいた部屋の様子が再現されている。 そこでスライドがカチャンカチャンと落ちる音と共にそれらを3往復ばかり楽しんだが、ソール・ライターの感覚が十分に堪能できて、至福の時間だった。 その後、ル・シネマで「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと」を観た。さすがに朝からいろんな所を出歩いたので、疲れて途中で眠ってしまった。ただ、「私の写真は観る人の左耳をくすぐる」というライターの言葉は、どういうわけかよく覚えている。 右耳もくすぐられないよう、帰ってすぐ寝た。 かずま (C)Saul Leiter Foundation #
by odysseyofiska
| 2020-02-09 23:35
2020年 01月 04日
墓の掃除をしながらいろいろ話をし、帰る段になってきちんとお祈りしてなかったことに気づき、慌ててした。 (だが、私にとって会話は祈りよりも大切だ。会話することで心がストーンとなる) 持って行くのはいつも一輪の白いバラで、それはFがまだ交通事故に会う前、「好きな花は何か」と尋ねた時にそう答えたからだ。私と全く同じだったので、とてもうれしかった。 だが、この季節は正月用の花かお供え用の花ばかりで、結局、7軒目の店で見つけて買った。(昨年はとうとう見つけられず、別の花にした) それを花瓶に入れて水盤の前に飾り、祈りが終わった後、水盤の水を抜いてバラも持ち帰る。そして食卓のFの写真の前に飾り、再び会話を始める。 バラについての思い出はいくつかあるが、この花を最初に意識させてくれたのは「星の王子さま」だ。(最初に読んだのは中学2年の時だ) 「大人は誰でも最初は子どもだった。だが、そのことを覚えている大人は少ししかいない。」という魅惑的な献辞で始まる王子の物語は私を魅了した。 王子は家ほどの小さな自分の星を出て、6つの星を訪れた後、地球にやって来る。そしてサハラ砂漠に不時着した「ぼく」やキツネに出会い、いろいろな体験をする。 だが、王子の心をずっと捉えて放さなかったのは、自分の星に残してきたバラだ。 バラのことを思った挙句、王子は星に戻る決心をする。そしてヘビに噛まれ、身体を置いて、自分の星に戻る。翌日、身体も跡形も無く消えていた・・・ この物語の中で何度も出てくるのは、王子のバラへの揺れ動く感情の言葉だ。 最初に読んだ時からそれは他の単発で完結したエピソードとは違って特別に感じられた。 男と女の恋愛を感じた。 童話に似せているが、もっと生々しく、王子の一つ一つの言葉に人生の機微のようなものを感じた。 そしてバラは私にとっても特別な花になった。 年末、クリスマスカードを出そうと思って切手を買いに行ったら、丁度、「星の王子さま」の切手の発売日だった。 挿絵も作者自らが描いたと後で知った。 深い愛着があったのだろう。 かずま #
by odysseyofiska
| 2020-01-04 00:25
2019年 12月 16日
うまくいかないことはよくある。 そしてそれが続くと、気持ちが暗くなり、憂鬱になる。 時にはすべてを投げ出し、やめてしまいたいと思うことさえある。 だが、雲の合間から差し込むわずかな陽の光を感じると、それに励まされ、また続けようと思い直す。 これまで何度もそんなことを繰り返してきた。 私は順風満帆に生きてきた人間ではない。 それどころか、ほとんどその逆の人生を生きてきた。 困難だと知りながら、何故こうした道を歩み続けるのだろう と自問してみても、答えはわからない。 楽天家でロマンチストの父の血なのだろうか。 台湾からの引揚者で辛苦を味わった母の涙なのだろうか。 夢を追いかけることをいつも応援してくれた努力家の兄の汗なのだろうか。 人生で出会った師や友人達から受けた愛と無数の声援なのだろうか・・・ いずれにせよ、この道以外に私の進む道はない。 どんな困難に出会っても、理想を諦めず、楽観的に、タフに乗り切り、 関わってくれた多くの人と、夢と希望を分かち合いたい。 そして、西に沈む夕陽を見ながら、静かに酒を飲みたい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2019-12-16 17:10
2019年 12月 04日
私は着る物や持ち物、食べ物にはほとんど関心がない。 (その代わり、自分のつくるものには非常に関心がある、というか、それしかない) 幸い、周りにその道の通がたくさんいるので、その人達の意見に従い、恥をかかずに済んで来た。ただ、折り畳み傘にだけは珍しくこだわりがある。 まず、軽くなければならない。それも「超」が付くくらい軽くなければならない。 でないと、雨の日に荷物が増えて重くなり、不快になる。 次に大きくなければならない。小さいと、バッグが濡れて不快になる。また、雨宿りの人に「どうぞ」と言って傘を差し出すこともできない。 3つ目に、開いた形が綺麗でなければならない。骨が無骨に折れ曲がるのではなく、普通の傘と同じくらい美しいスムーズな曲線の傘でなければ、差す気がしない。 そして最後に、丈夫でなければならない。安いビニール傘のようにすぐに折れ曲り、捨てられるのではなく、多少の雨風にも柳のように耐えて、末永く使える傘でなければならない。 その他、持ち手が持ちやすいとか、折り畳みやすいとかあるが、それらは少々の努力で済むことなので、大したことではない。 そして苦労した挙句、2年程前、日本橋にある傘屋の折り畳み傘に行き着いた。 購入してびっくりした。軽い‼︎ 220gしかないので、バッグに入れても入れたことさえ忘れる。そして親骨70cmで開くと122cmと大きい。カーボンの8本骨なので、丈夫で、開いた形も美しい。 おまけに、テフロン加工の撥水性能で、振ると雨が飛んでしまい、すぐにケースにしまえる。 いっぺんで気に入り、雨が降りそうな日はバッグに入れて毎回持ち歩いた。 ところがある日、強い雨風で骨が1本折れてしまった。幸い、購入1年以内だったので、無償で修理してくれた。 先日、またしても強い雨風で骨が1本折れてしまった。今度は1年以上経っているので、1100円払って修理してもらった。 「できました」という電話を受けたので取りに行った。びっくりした。 骨1本直したのではなく、カーボン骨全部が新しくなっている。 聞くと、親骨が強風で少し曲がって動き難くなっているので取り替えた、料金は最初にいただいた分で構いませんと言う。 撥水性が落ちてきたのでどうすればいいのか聞くと、「傘のお手入れガイド」というパンフレットをくれて、最初に付着した汚れや油を落とし、陰干しして乾燥させた後、市販の防水スプレーをたっぷりかけてくださいと言う。 そして、強風の時の傘の持ち方を教えてくれた。 店を出た後、払ったお金の何倍ものお金をもらったような気がした。 店員や職人の、傘を大切に末永く使って欲しいという気持ちがひしひしと伝わってきて、私の心の琴線に触れた。 この店の傘を末永く愛着を持って使うだろう。 かずま #
by odysseyofiska
| 2019-12-04 18:26
2019年 11月 16日
友人のアーティストKさんから、よかったら来ませんか?と「緑と道の美術展」(黒川里山アートプロジェクト 期間:11/1(金)〜30(土))のお知らせが送られてきた。 これは小田急多摩線はるひ野駅から黒川駅まで、里山風景を楽しみながら25作家の作品を鑑賞する、アートと散策の組み合わさったイベントだ。 面白いので、友人たちにもメイルで送った。そうしたらSさんがさらに明治大学黒川農場の収穫祭と絡め、+ノルディックウォーキングイベントに膨らませてくれた。 こうなったらもう参加するしかない。 かくして、先週土曜日、初ノルディックウォーキングを体験した。 まず、9時半にはるひ野駅南口に13名が集まった。 3人の初心者を除けば、皆ノルディックウォーキングの常連たちだ。 準備体操をして、スタートする。 私ははるひ野駅も黒川地区も初めてだが、URが開発した住宅地で、多摩の里山がそっくり残っていて、なかなか良い。また、住宅地も最初から自然な植栽が施されているので、周辺と馴染んでいる。 やがて道は里山の中に入り、地面や木々の間に置かれたアート作品を見ながらゆっくり進む。途中で、まるで私達を歓迎するかのようにTHINK「13」NOW というフラッグ(これも作品)があったので、みんなで記念撮影した。 さらに進んで緑地を保全した公園まで行くと、(前もって連絡しておいたので)Kさんが出迎えてくれ、自作品について説明してくれた。 Kさんは元々プロダクトデザインを手がけていた方で、アーティストに転じてからも科学とアートの接点をいつも追いかけている。最近の一連のテーマは「歩く」で、歩行やバランスの危うさを体験してもらうため、虹色に塗った細いリングも少し浮かせて、バランスを取りながら歩けるようになっている。また、中央にいる人は庭の木を伐採した時の木を組み合わせてジャコメッティのような「歩く人」に設え、(Kさん曰く「ホモフォレスト」)保存のために全体を炭で塗っている。 聞けば聞くほど、いろんな思考の入った作品だ。 Kさんと別れて、再び里山に入る。ここには10作品がそれぞれの場所に合った形で製作され、展示されている。中には、このままずっと置いておけば?と思うような作品もある。毎年、市と町、主催者、アーティスト達が協議して、1つずつ残していけば、歴史の蓄積にもなるだろうに・・・ そんなことを考えていたら、11時過ぎになったので、もう一つの目的地、明治大学黒川農場の収穫祭に向かう。20分程歩いて着く。 明治に農学部(生田校舎)のあることは初めて知った。(私の母校W大は稲穂を校章にしているのに農学部はない。)というか、東京六大学で農学部のある大学は明治だけだ。他の関東の私立大学を見ても、日大、東京農大、玉川大くらいだ。 これでは、日本の農業がジリ貧になるのは明らかだ。 会場は付近の住民だけでなく、収穫祭の野菜目当てに集まった人で予想以上に混んでいる。 お腹が空いてたので、名物のカワサキカレーパンとチキンバーガーを食べて、黒川農場ガイドツアーに参加し、温室や農園を見て回った。 野菜や果物も買って帰りたかったが、途中で立ち寄る先もあるので断念した。 観残した3つのアート作品もすべて観て、黒川駅から帰った。 「芸術の秋」「食欲の秋」「スポーツの秋」を一日で堪能した。 KさんとSさんに感謝である。 かずま #
by odysseyofiska
| 2019-11-16 18:42
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