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2006年 08月 10日
建築をやっていると、ふとある時、普遍的なるものを追いかけている自分に気づくことがある。 そういうものが存在すること自体ありえない話なのだが、(特に建築では、)それでも心のどこかでそれを追いかけている自分がいる。 「建築の解は無限にある」(答は一つではない)というのは、建築家ならずとも建築に関わるすべての人が体験し知っている自明の理である。にも関わらず、一般の人はそれがあるかのような錯角を持っている。建築を学んでいる学生でさえも「先生、答を教えてください」と言うのがいるのだから、ギャフンと来る。 では、それが存在しないことを知っているにも関わらずそれを追いかけるのはなぜなのだろう。 それは、そういうものが存在する(少なくとも「自分自身にとっての」普遍的なるものは存在する)と信じ、それに向かって努力することでしか自分の案に対する確信は得られないからなのだろう。(確信の得られないものは実行に移すことはできない。) しかし、獲得したはずの普遍的なるものは時と共に変化し、得たはずの確信と共に消えて、また新たな努力を一から始めることになる。 建築の行為はどこかシジフォスの神話と似ている。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-08-10 16:24
2006年 08月 01日
ランボーの詩に「永遠」という詩がある。 それはこんな書き出しで始まる。 Elle est retrouve'e. Quoi? - L'Eternite'. C'est la mer alle'e Avec le soleil. 詩はそのまま飛翔し、空を飛び回り、元来た場所に戻って、静かに同じフレーズで終わる。韻を踏んだ言葉がちりばめられ、全体は重層的に響いてくる。 この詩を訳すのは大変難しい、というか日本語では不可能で、原文から味わうしかない。 ゴダールの「気狂いピエロ」は彼(ランボー)に捧げられた(かのような)破滅的な映画で、最後にこの詩で終わる。映画は傑作だが、訳は最悪だった覚えがある。 ランボーの詩はいろんな人がいろんな訳をしていて、中では金子光晴の訳がランボーの感性を一番すくい上げているように思う。が、この「永遠」だけは少し饒舌だ。 フランス語の弱い私も、以前、この部分だけ拙訳したことがある。 また見つけたよ! 何を? 永遠さ! それは太陽に溶けて逝った 海 この詩はSexの歓喜を歌ったものだという説もある。 が、映画「月と太陽に背いて」ではディカプリオ(ランボー)が海を見て、素直に言葉を発していたような覚えがある。 いずれにせよ、ランボーの詩の中では愛すべき詩の一つだ。 この詩に初めて出会った時、その光景にすでに出会っている自分に気がついた。 まだ幼稚園にもいかない頃、長崎の高台で西に沈む夕陽を見ていた時、海が黄金色に輝き、その中に吸い込まれるような感じで立ちすくんだ。 そのまま黄金色の海に溶けて死んでしまうような気がした。 自分が抗うことのできない、もっと大きな存在を感じた。 永遠を感じた。 忘れられない、原初の光景である。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-08-01 18:53
2006年 07月 28日
子供の頃、東京が嫌いで嫌いでしょうがなかった。 それまで過ごした長崎は、入り組んだ海と山に囲まれ、景色が一瞬の内に理解でき、いろんな国の文化が入り混じっていて、濃密で、すべてが身体の一部のように感じることができた。 しかし東京は茫洋と広がっていて、どこからどこまでが境界なのかわからず、漠然としていて、のっぺらぼうで、子供の私には不安だった。 親しみを感じることができず、早く長崎に帰ろう、帰ろう、とばかり親に言っていた。 そんな時に表参道に出会った。 とてもびっくりした。 東京にも長崎に負けない、(いや、それ以上の)坂道があることを知った。 夢中になって歩いた。 上っては下り、上っては下り、そればかりを何度もくり返した。 地面の底から何かが伝わって来るのを感じた。 空を見上げると、樹々の合間から明るい陽差しが降って来た。 航空母艦のカタパルトのように 坂道がそのまま永遠につながっていくように感じた。 初めて東京にも「永遠」があることを知った。 あれから40年が経ったが、今でもこの気持ちは変わらない。 先日、フィリピンのクライアントのお母さんが75才の誕生日を迎えた。 お祝いの会に招かれたが、別用があって行けなかった。 代わりにメッセージを添えて、この景色をネットで送った。 一番大切にしているものをあげた。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-07-28 14:45
2006年 07月 20日
建築という仕事をしているせいだろうか、「形のないもの」に無性に憧れる。 たとえばジャズ、たとえばダンス。 もちろん、ジャズやダンスも譜面やCD、写真や映像で何らかの形に記録、定着させることはできる。だが、その本質は現場での生の出会いや交感でしか体得することはできない。 しかも刻々と変わっていき、最終的には横たわった時間の中にしか作品は存在しない。 一瞬一瞬が生き物のようで、しかも永遠と切り結んでいる。 なんて美しいんだろう! 翻って、建築は時間のかかる不自由な芸術だ。 考えたこと、思ったことは一瞬一瞬は飛び散っていても、それを形化する間に鮮度は失われ、完成した時には感動ははるかに薄まっている(少なくとも作者の中では)。 建築の展覧会で一番好きなのは、完成した写真や模型を観ることではなく、その途中のエスキスやあやふやな模型に触れて、作者の脳味噌や心の動きを生き生きと感じられる瞬間だ。もちろん、そういうことが感じられる実作に出会えた時は最高だ。作者の熱い心とその持続力に感動する。 建築でも形にならない部分、形以前の部分が大切だ。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-07-20 19:31
2006年 07月 13日
ファンタジスタの話をしたので、もう少しその続きをしよう。 ファンタジスタかそうではないかは人によって見方や議論の分かれる所だが、一つだけ言えることは、彼ら(ファンタジスタ)は決まりきったパターンやルール、次はこうなるだろうという我々の安易な予測を裏切り、見慣れた世界を一変させて、観る者をワクワク、ドキドキさせてくれるということだ。 硬い言葉で言うと「定型からの離脱」ということになる。 その原動力は、霊感(インスピレーション)と想像力(イマジネーション)、ウィット、アドリブ、瞬発力だ。 それをさらに押し進めると「形式からの離脱」ということになる。 ロナウジーニョとバルサのサッカーには、時折こうした至福の瞬間が訪れる。 「建築とはこういうものだ」という言い方がとても嫌いだ。 建築を初めから決めつける人間に、ファンタジスタのゲームはできない。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-07-13 20:00
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