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2007年 11月 16日
![]() 父はその後、幸運にも希望していた施設に入所でき、穏やかで充実した人生を始めたかに見えたが、一月もしない内に誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、K病院に入院した。 それまで「誤嚥」という言葉を聞いたこともなかったので、初めはどういう漢字でどういう意味なのかわからなかったが、辞書を引いて、ようやくそれが「誤って気道内に食物が流入してしまうこと」という意味で、ツバメの子供が大きく口を開けて餌を得る光景が浮かぶような字なのだということを知った。残念ながら、その前に「誤」という字が付いて、その光景は暗転するのだが・・・ 父がそういう状態になることで初めて気づいたのは、この「誤嚥」という言葉は、現代人の毎日の生活や人生の歩みの中で、あらゆる部分に起こりうる一般的な現象なのだということだ。 新聞やテレビのニュースを見ていると、健康体にも関わらず「誤嚥」を起こした人の記事が多く並ぶ。政治や社会だけでなく、スポーツや教育の現場でも同様だ。 せっかく功なり名を遂げて、後は悠々自適の生活をするだけの人が、「誤嚥」を起こし、晩節を汚す例もよくある。 一体、この誤嚥はどこから来るのだろう。一個人の精神の在り方なのだろうか。それとも社会的な構造の欠陥、もしくは変容なのだろうか。それとも人間という愚かな生き物にまとわりつく性なのだろうか・・・ その後、父は一度は治って退院したが、誤嚥を再発し、入退院を繰り返す日々を送っている。 昨日は父が交通事故に会ってから14年目の日だった。 その間に彼は多くのものを私に与え、伝えた。 たぶん、彼の、目に見える生命はそれほど長くはないだろうけれど、 目に見えない生命はこれからも永く私の中で生き続けるだろう。 かずま #
by odysseyofiska
| 2007-11-16 23:00
2007年 05月 17日
![]() 私の父は13年程前に交通事故に会い、左脳をやられた。 以来、母と私が父の面倒を見てきたが、昨年、その父と母が相次いで倒れ、入院する騒ぎが起きた。幸いどちらも大事に至らなかったが、母もリハビリが必要な身体となり、事実上、父の面倒を自宅で看ることは不可能になった。 その結果、父は老健(老人保健施設)の世話になることになり、3ヶ月ごとに延長するか、新しい施設に移動するかしていたが、「そろそろお父さんの介護をどうするか、真剣に考えた方がいい」と母のケアマネジャーから諭され、重い腰を上げて、仕事の合間に世田谷区内の特養(特別養護老人ホーム)を視て回った。 結局17ある施設の内、15を視た。(後の2つはHPで平面図を見て、類推できた。) それだけ多くの施設を真剣に視たのは、たぶん、ここが父の終の住処にならないとも限らない、との思いがあったからと、私の職業が建築家で、いろんな点で考えさせられ、勉強になり、かつおもしろかったからという理由に過ぎない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 最初に視たのは、家から一番近い、歩いて行ける所にあるYという施設だった。 入ってみて驚いた。ホテルのロビーのような空間で、そこから見える中庭や館内のデザインや調度品も申し分なく、これまで見てきた老人介護施設の常識を覆すには十分だった。 ロビーのソファで待たされ、15分程その余韻に浸っていたが、ふと何かがおかしいという気がしてきた。 音がシーンとし過ぎる。人の気配や生気が感じられない。いつもだと施設に入った途端に感じる騒音や人の賑わい、煩雑なわずらわしさがクリアに抜け落ちている。 それはしばらくしてやってきた係の説明でわかった。 ここは入所者のみの施設で、通常なら1階にあるデイサービスやリハビリ、相談センター、ショートステイなどの施設が無く、その代わり、だだっ広い空間の中にリゾートホテルのようにソファや机やイスがゆったりと並べられているのだ。 その雰囲気は上階の入居者スペースも同じで、人々はいくつかのグループに分かれ、中央の中庭に面したスペースでゆったり過ごしているのだが、どこかシーンとしていて生気が感じられない。その分、各人の部屋のドアや各所を飾るポストモダン風のデザインが目立ち過ぎ、外観の、これまたポストモダン風のデザインが勝ち過ぎている。 この施設は世田谷区内で一番古い施設だったのを数年前に建て直した際にこのようなデザインやコンセプトに変えたのだが、(入居者の家族や施設の運営者にとっては誇らしい、自慢できる建物かもしれないが、)果たして実際に生活している老人にとって、少なくとも私の父のように、おとなしい、日常生活で刺激の必要な老人にとって、これが最善の選択だったのだろうか。おこなう行為や対象も含めて、最初の設定を過ったまま突っ走った結果、最終的にこうなってしまったのではないだろうか・・・そうした疑問が拭い去れなかった。 それに対し、まったく逆のケースで教えられた施設がある。Kという施設である。 この施設はたまたま父の入っていた老健や病院と隣接していて、日頃から老朽化を目にしていたので、最初は候補から除外していた。視たのは、偶然時間が空いたからに過ぎず、期待もしていなかった。 中に入ると、案の定、内部は外部以上に老朽化していた。元気のいい女性の施設長が案内してくれたが、一通り見たら早く帰ろうと心に決めていた。 薄暗い中廊下で何人かの入居者がたむろし、お茶を飲みながら話をしていた。 いきなり施設長がその会話の中に入り込み、気さくに話をリードしながらテンポをヒートアップさせていく。その場にいた人の顔がみるみる輝き始め、笑い声が起こり、不意の来訪者である私にまで話し掛けてくる。 ところがその話す言葉がわからない。まるで外国語を聴いているかのようだ。 それを施設長は、その老人に変わって活き活きした日本語で私に話しかける。私が言葉を返すと、老人はニコニコして握手してくる。すべてのバリアが取り払われる瞬間だ。 施設長は入居者だけでなくスタッフにも気さくにどんどん話しかけて行く。 「古い施設だがゴミが落ちてなくて、とてもきれいだとこの人(私)が誉めてたよ、○○さん」と若いスタッフに話しかけ、その場のコミュニケーションの輪の中に部外者である私までもどんどん取り込んで行く。 みんな活き活きしている。入居者も、入居者の家族も、スタッフも。 完璧に教えられた。 建築なんて人間に比べたらなんてちっぽけで、たいしたことないのだろう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ そのほか、最新のユニット型ケアの施設も視た。 廊下がまるで無く、中央にリビング、ダイニング、キッチンがあり、両サイドに個室が並んでいるFという施設は「大きな家」のようで、大変共感を覚えた。これなら機嫌の良い時は中央に出てきて、悪い時は個室にそのままいれる。入居者のプライバシーやプライドを大切にしている。 ただ、私の父の場合は、もっと大勢の人がいる場で元気をもらい、刺激や変化の多い生活に接していられる方がいいように感じた。 結局、建物だけでなく、マンパワーや、行き易さ、母のリハビリと共有できる点など、総合的に考えて、Kという施設(先程のKとは違う)を選び、申し込んだ。 一月ほどかかったが、それ以上に多くのことを学び、考え、感じた。 ちっぽけな建築を少しでも人間に近づけたい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2007-05-17 20:32
2007年 02月 17日
![]() 子供の頃初めて出会った表参道は、今とは違って人通りはそれほどでもなく、静かで穏やかな街だった。 坂道の途中にある教会も、今とは違って高い黒い木の塀で囲まれ、(中で何をやっているのかよくわからず)ちょっと神秘的で、前を通る度にドキドキした。ベンチでは、ひなたぼっこをする老人や毛糸の編物をする女の人が、日がな一日ゆったりした時間を楽しんでいた。中でもそうした雰囲気を自然と醸し出していたのが同潤会アパートで、その前を通る度に、なつかしいおじいさんやおばあさんに出会った時のような、なごやかな穏やかな気持ちになった・・・ それが無味乾燥でのっぺらぼうなファサードのビルに取って代わられた。 コマーシャルな店が前面に出て来て、それまであった味わい深い歴史の匂いや、草木や蔦の香り、そこに住む人々の息遣いは消えてしまった。突然、時間はせわしなくなり、人々も立ち止まることなく店内を歩き続けて・・・何と言うことはない、あの大好きだった建物は、ただのショッピングセンターに代わってしまったのだ。 主を失った表参道は急速に魅力をなくし、いつのまにか私には「他人の街」になってしまった。 だが、まだいい。表参道には美しい坂道とケヤキがあるから。 それに頭から冷水をかぶせられるような事件が昨年末から今年にかけてあった。 どこのバカが言いだしたのかわからないが、突然、表参道に(既存の街灯を囲むように)巨大で不細工な白い箱があっという間に出現したのだ。それも、ほとんどのエリアを覆うかのように、無数に。足元には企業のCMが描かれ、歩道を大きく占拠し、歩く煩わしさはこの上ない。 これがクリストの作品のように「そこに存在する物の意味を問い直す」というのならまだわかる。だが、そんな批判精神や芸術的な野心もなく、このバカバカしい箱は、クリスマスや正月に人々を引き寄せる、(以前あったケヤキのイルミネーションに代わる)コマーシャルな客寄せパンダとして作られたのだ。 だが、子供でもわかるだろう、それが表参道のケヤキと坂道の作る一番美しい景観を台無しにしていることくらいは。 このバカなデザイナーは夜のことしか考えなかったのだろう。しかも自分がいかに美しく見えるかしか考えず、昼間のことや、表参道の残された主であるケヤキと坂道への尊敬や、ましてやそれらをいかに美しく引き立てるか、などはこれっぽっちも考えなかったのだ。 オーナーに媚びを売る、ただのイエスマンで、デザイナーの風上にも置けない奴だ。 サッカーなら、一発レッドカードで退場だ。 この不細工な箱が撤去されて元に戻るまでの一月半は、表参道を歩く気がとてもしなかった。 かずま #
by odysseyofiska
| 2007-02-17 22:40
2006年 12月 05日
![]() 一年のうちで一番好きな季節は?と聞かれたら、迷わず、「秋」と答える。 何月?と聞かれたら、「11月」と答える。 それほど私は、11月の澄みきった空気ともうじき冬が来る緊張感、そして色づいた樹々の木の葉の散る景色が好きだ。 この時ばかりは日本人に生まれたことの幸運と喜びを感じ、神に感謝する。 しかし今年の11月はいつもの11月ではなかった。 いつまでたっても空気は冷たくならず、あの独特の緊張感が沸き起こってこない。 しかも葉の色づきは遅れ、楽しみにしていた、この世の果てのような木の葉の乱舞も見られない。 いつもだったら「黄金の11月」と呼んでいた季節は過ぎて、やっと12月に入ってからそれに似た景色が始まった。 でも、良しとしよう。曲がりなりにも「黄金の12月」を味わえたのだから。 この頃になるとカメラを持って黄金色に染まった景色を写真に撮るのが昔から好きだった。ファインダーの中の黄金色をぼんやり見つめていると、いつしか子供の頃に戻って、こんな景色の中で遊んでいた自分と重なっていくのだ・・・ 確か、廃屋のような木造の2階建ての校舎があった。海を見下ろす丘の上に。 そこで兄が絵を習っていて、「入ってはいけない」と言われていたので、一人で外で遊んでいた。秋のよわい陽射しの中で。 冬が近づいていた。 不安だった。 夕陽を見た。 死を感じた。 が、それはどこか甘美で、「永遠」につながっていた。 十字架の格好をして崖から飛び下りた。 わらの上にやわらかく落ちた。 何回も何回もそれをくり返した・・・ そのままでいると本当に死んでしまうような気がしたので、「入ってはいけない」と言われた校舎に入り、兄の所へそっと歩いていった。 絵の先生が気づいてあたたかく迎えてくれた。 死なないですんだ・・・ 黄金色の景色を見ていると、こんな子供の頃の記憶を思い出す。 秋は「永遠」につながっている。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-12-05 22:44
2006年 11月 22日
![]() 休日、武相荘に行ってきた。 白州次郎と正子が生涯の大半を過ごした家だ。 古い農家を買い取り、住みながら長い年月をかけて手を入れていったもので、質素でありながら味わい深く、選ばれた調度品と共に、故人の風情がしのばれる建物だった。 その中に、正子の一文が壁に掛けられていた。 ・・・それから30年かけて、少しずつ直し、今もまだ直し続けている。 もともと住居はそうしたものなので、これでいい、と満足するときはない。 綿密な計画を立てて、設計してみた所で、住んでみれば何かと不自由なこと が出て来る。 さりとてあまり便利に、ぬけ目なく作りすぎても、人間が建築に左右される ことになり、生まれつきだらしのない私は、そういう窮屈な生活が嫌いなの である。 俗にいわれるように、田の字に作ってある農家は、その点都合がいい。 いくらでも自由がきくし、いじくり廻せる。 ひと口にいえば、自然の野山のように、無駄が多いのである。 (白州正子『縁あって』「思うこと」より) 「ぬけ目なく作りすぎても」とは、さすがに目が抜けている。 「ぬけ目なく作ること」が、見かけだけでなく、心までも窮屈でつまらないものにしてしまうことを知っていたからこそ、次郎と正子はあばら屋のような農家に惹かれ、それを愛し、骨太で質実剛健、豪放磊落な精神を受け継いでいったのだろう。 現代の住宅、建築とは対極にある物である。 元々の農家に手を加えていった部分はどこもすばらしい。 書斎は、大きくはないが、凛とした空気が漂っている。土間を改造した居間も独特な雰囲気がある。和室や寝室もそうだ。 それが増築した部分になると、とたんに線が細くなる。食堂や離れ、長屋門前の車庫などはまだいい。が、一般公開のために新しく作られた土産物屋は陳腐でまがい物の域を出ていない。何となくまわりと似せただけで、ぬけ目なく作られているからだ。 帰りがけに裏庭を散歩し、戻ってもう一度農家だった部分を見上げると、壁に秋には似つかわしくないアサガオが咲いていた。 生き物は美しい。 建物もこのように無心でありたい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2006-11-22 19:36
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