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2010年 02月 08日
大学で教えていて一番ワクワク、ドキドキする日がある。 それは卒業設計の採点をしに行く日で、特に4年生を教えている私にとっては、彼らが最後にどんな結果を出したかを見るのはとても楽しみな作業なのだ。が、時には楽しみを超えて痛みさえ感じることもある。今年も1月末にその日がやって来て、6時間程かけて採点し終わった後はご飯が食べられなくなってしまった。 一昨日はその講評会があり、上位15作品の発表と質疑応答が昼食休憩を挟んでぶっ続け6時間程おこなわれ、その後出席した内外の先生全員で投票して今年の卒計賞が決まった。 この講評会は、形式上は生徒と先生による発表+質疑応答なのだが、実は採点した先生同士の価値観の違いが明らかになる瞬間で、この先生同士の白熱したバトルがとてもおもしろい。当然、当事者である私もその渦中に入れられ、戦う羽目になる。 今年は、採点を始めた時から一つの作品が気になって仕方がなかった。M君の、皇居前広場につくったラブホテルである。そのコンセプトはこんな書き出しで始まる・・・ 性と生殖が可能になり、結婚の意味を変え、性の自由化がもたらされた。そして 「愛があればセックスしてもよい」と考えられるようになり、その結果、セック スが恋人同士のコミュニケーションの1つになった。 しかし、現代社会はそれをする場である「ラブホテル」を社会的に低俗、低級、 そのうえいかがわしい、ふしだらな場所と蔑視されるなど、不真面目な場所との イメージが付きまとっている。なぜか・・・ それは、現代人は建前と私利私欲に生きている「糞野郎」だからである。 しかし、それは普通のことで、その中に自分は「糞野郎」と自覚のない偽善的な 現代人「ムッツリ糞野郎」が存在している。 自分を棚に上げて・・・ この、けっして上手ではない舌足らずな文章を読んで、その言葉の過激さとは反対に、私は潔癖感と真摯な気持ちを強く感じた。全部の作品を4周回って考えたが、結局彼の作品以上に心を打たれる物が無かったので、彼を1位にした。 物議を醸し、矢面に立つのはわかっていたが・・・ 案の定、M君の作品は講評会で紛糾した。 最初に彼の挑発的な発表があり、次に指名された私が、彼の反抗心の見事さと、この場所でそれが成り立つかどうかを粘り強く調べ上げた点(江戸時代から現代までの広場の歴史を調べ上げて一つの根拠に行き着いた)、それをデザイン化する上で誰よりも努力した点(90通り近くの異なる部屋の断面図を創った)を指摘しながら擁護したが、逆に火に油を注いでしまった形で、議論は収集がつかなくなってしまった。 結局、自爆テロとその共犯者のようになってしまったが、それを聴いていた学生やOB、OGにとっては、自分の立ち位置やいろんなことを考える契機くらいにはなっただろう。 1位と2位は順当な力作が選ばれた。その後、打上げ、2次会を経て、(みんな立ち去り難かったので)朝までカラオケで歌い、最後はSMAPで締めた。 小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one かずま #
by odysseyofiska
| 2010-02-08 14:24
2010年 01月 09日
「僕は二十歳だった それが人生で一番美しい季節だなんて、誰にも言わせはしない」 年末に赤坂で中学時代の友人がブルースのライブをやるというので聴きにいった。 とてもいい演奏で、終わった後もミュージシャン達と酒を酌み交わしながら楽しい話をしていたら、結局、朝になってしまった。 その時、一緒にいたMさんの話の中に冒頭のポール・ニザンの言葉が出て来た。 で、正月は「アデン アラビア」を読んだ。 この全編、青春の潔癖感と反抗の羅列としか言いようの無い文章を読んでいると、私にもそういう時代があったなと気づかされ、少し懐かしい気持ちになった。 17才だった。当時、私は国立の付属高(いわゆる受験校)の2年生で、牧歌的な生活をそれまで同様、謳歌していた。 ところが2学期が始まると同時に状況は一変し、学校全体が受験体制に入り、多くの生徒がそれに順応して変わっていった。 これには全くもって承服し難かった。 「1年半我慢すれば、いい大学に入れ、いい就職が出来、いい人生が送れる」なんてウソブク奴がいるけど、そんな奴は糞食らえだ!! 俺にとってこの1年半は、かけがえのない人生の最も重要な時間なのであって、1分1秒だっておろそかに出来るわけがない!!!・・・ そんな言葉が毎日の日記にいくつも並んだ。 わざと学力テストに遅刻し、悪い点を採った。 授業を抜け出し、映画を観に行った。 初めてタバコを吸った。 放課後に「帰れ!」と言われるまでいつも中庭でサッカーをした(そして足を骨折した) ・・・・・・・・・・ そんな馬鹿なことを一つ一つ発作的にやりながら、敷かれたレールから少しずつ外れて行く努力を真剣におこなった。 人生で初めての失恋をした。 「マノン・レスコー」を読んだ。 京都が心に沁み入るように好きになった。 中也とランボーの詩に耽溺した。 自分の心を少しもゆるがせにしないぞと心に誓った ・・・・・・・・・・ その後、私は多くの失敗と挫折を繰り返しながら今日まで生きて来た。 そのすべてはあの17才の時の決断から始まっている。 だから私はこれからも生きて行ける。 I learned the truth at seventeen・・・ ジャニス・イアンのこの名曲を聴くと、いつもあの頃の格闘していた自分を思い出す。 そして(無音で)拍手を送りたくなる。 かずま #
by odysseyofiska
| 2010-01-09 19:23
2009年 12月 22日
アルテピアッツァ美唄(びばい)に行った。 札幌から電車とバスを乗り継いで1時間ほどの所にある、小学校の廃校を利用した彫刻とランドスケープが一体となった芸術公園だ。 前から噂で聞いてはいたが、実際に見たそれは予想以上で、私は時さえ忘れてその場を歩き回った。 美唄は元々炭鉱町で、最盛期は9万人の人口を数えたが、閉山後は6万人の人々が故郷を去った。言わば廃墟同然になった町を、再生、創造する物語なのだ、アルテピアッツァ美唄は。 校舎や体育館を改造してできたギャラリーや野外のランドスケープには、イタリアに住む世界的な彫刻家、安田侃(かん)の彫刻が40点近く点在する。 彼は少年時代をここで過ごし、原風景を心に刻んだ。その思いが強かったからだろう、名声をなした後も東京などの大都市ではなく、人口3万にも満たない故郷の小さな町にこの18年間心血を注いでいる。 点在する彫刻のほとんどは彼の代表作ばかりで見応えがある。 だが、私が一番気に入ったのは、この場所にひそやかに横たわる時間の感覚だ。そしてそれと寄り添う自然の感覚だ。 この2つと彫刻がブレンドされて醸し出される場の雰囲気は未だ味わったことのない物で、その中を歩きながら私は自分の感覚がどんどん鋭く敏感になって行くのを感じた。 突然、スカボロー・フェアが頭の中で聴こえてきた。 Are you going to Scarborough Fair? Parsley, sage, rosemary and thyme, Remember me to one who lives there, For she once was a true love of mine. こんな夢を僕たちは昔見ていたんだね・・・ そう、誰かがささやいているような気がした。 ここには精霊が棲んでいる。 かずま #
by odysseyofiska
| 2009-12-22 14:19
2009年 12月 04日
ニセコでつくっていたレストランが完成したので引き渡しをした。 次の日の朝、羊蹄山の麓が雲海で覆われ、その向こうから朝日が昇った。 神を感じた。静かな感動を覚えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 時間があったので札幌に戻り、帰りの飛行機までそこでゆっくりしようと思った。 途中の車内でいつものように事務所にメイルを送った。 戻って来たメイルを見て言葉を失った。 メンバーの妹に不幸があり、たった今、幼子が亡くなったという知らせだった。 頭の中が真っ白になり、しばらく何も考えられなかった・・・ 気がついたら、乗換えの小樽で降り、海に向かって歩いていた。 私は心を鎮め、祈りたかった。 魂の眠る場所で。 子供の頃から、海は魂の眠る場所だった。 長崎の高台から西の海に沈む夕陽を見ながらいつもそう思った。 特に黄金色に輝く瞬間はこの世の果てのようで、死への誘惑とエロスを子供心に直感した。 小樽の海は静かだった。 埠頭の先端から望む空と海は同じ色をして溶け合おうとしていたが、それを拒むかのように防波堤が一本の線を引いていた。 この世と向こうの世界の境界のようだった。 私はそれを見ながら、眠りについた幼子や、その母親である妹、ヨシザカ、私の父、この世に生まれて来る前に逝ってしまった私の子のことなどを思い出し、鎮かに涙を流した・・・ 長い間、海を見ていた。 突然、カモメが飛んで来て、私の思いをくわえ遠くへ去って行った。 今頃、私の思いは魂の眠る場所へ届いているだろう、か・・・ かずま #
by odysseyofiska
| 2009-12-04 15:10
2009年 11月 01日
ブレディスローカップを見に行った。 ニュージーランド代表(オールブラックス)とオーストラリア代表(ワラビーズ)が戦うテストマッチで、ラグビーファンにとっては堪えられない試合だった。 結果は32−19でニュージーランドが勝ったが、前半の終了間際にオーストラリアのWTBハインズが、何人ものタックルを受けて弾き飛ばされながらも右隅に飛び込んだトライは鳥肌が立った。(何回もオーロラビジョンに場面がリプレイされ、その結果トライとなった。)スピード、迫力、勇気、正確さ、どれをとっても今まで観たことのないレベルの試合で、終わった後もしばらく興奮して身体が火照ったままだった。 私が初めてラグビーに触れたのは高校の体育の授業の時で、お遊び程度だったがとてもおもしろいと感じた。 その後進んだW大はラグビーの名門校だったので、本チャンのラグビー部以外にも同好会がたくさんあった。私もその内の2つに入り、1年半程ラグビーに熱中した。 (大学入学当時、私は建築学科の授業に大変失望して文学部の授業を聴講に行き、詩の本を読み耽り、ラグビーに興じてばかりいた。私が失望したのは、建築はもっと自由で芸術的なものだと思っていたのだが、四角四面な製図と鋳型にはめ込むような授業ばかりで、精神的にとてもついていけなかった。それが、2年の後半の住宅の設計で突然、建築のおもしろさに目覚め、熱中し始めたと同時にグラウンドから足が遠のいていった・・・) 結局、私のプレイヤーとしてのラグビー体験は中途半端で終わってしまったが、あの地獄のような菅平と山中湖の合宿は今でも身体が覚えている。 ラグビーはそれまでやってきた野球やハンドボールよりずっと過酷でハードだったが、それを体験できたことはとてもよかったと(後遺症に悩む)今でもそう思っている。 私がラグビーを愛する理由はたくさんあるが、そのうちの一つは、自分は死んでも球は生かし、その思いが全員に伝わって一つのトライに結びつくという、あの美しい魂の連鎖だ。個人プレイだけでは絶対無理で、フォア・ザ・チームの糸がピーンと全員に張られている。 それから、とても激しい格闘技のようなスポーツなのに、フェアプレイが徹底していて、それに反すると厳罰が下され、試合が終わるとノーサイド(敵味方は無い)で握手をし合う、気品のあるスポーツだからだ。 これまで多くの名勝負を見て来た。好きなチームもたくさんある。 が、やはり忘れられないのは7連覇した新日鉄釜石と神戸製鋼だ。 この2つのチームは共通していて、監督がいなかった。選手が自主的に個人練習をし、わずかな時間の合同練習の中でチームとしての戦術と力を高め、選手同士が常に話し合い、キャプテンがそれをまとめ、試合の中でもアイコンタクトし合いながら常に心を一つにして戦っていた。 あのようなチームが私の理想だ。 10年後に日本で開催されるワールドカップが今からとても楽しみだ。 その時、ジャパンがニュージーランドやオーストラリアと対等に戦う姿を夢見てやまない。 かずま #
by odysseyofiska
| 2009-11-01 21:25
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