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2022年 08月 09日
以前、blogにも書いたが(https://odysseyi.exblog.jp/241259853/) 、美郷町に行くのは遊びではなく、昨年度行った2つの施設の改修の基本構想・基本設計に引き続き、実施設計を行うためだ。だが、私にはそれは単なる仕事と言うより、懐かしい大好きな人達に会いに行く旅、とでも呼んだ方がよいような楽しい旅で、盛岡を過ぎ、田沢湖、角館、(Mさん、D君と待合せの)大曲が近づいてくると、少し心が浮き浮きしてくる。そして、D君の運転する車に乗って、昨日の雨は凄かったですよ、ヘェ〜、東京は暑かったよ、などと近況を話してるうちに名水市場湧太郎に着く。 今回の目的は、2ヶ月前に来た時の調査をさらに徹底して行い、実施図面に反映するためで、最初に倉庫内の物品チェックを行い、いらないものは整理して、いるものはどこに置くかを具体的に決めて行った。こうすることで、スペースの無駄がなくなり、使い勝手もよくなる。 建築家が何でそんなことまでするの?と言われそうだが、結局そこまで踏み込まないと、本当にいいものにはならない。おかげで、少し汗だくになった。 昼になったので、前回、時間切れで行けなかった「ゴマシオキッチン」に行く。 ここはテーブルが4つしかないので、埋まってたらアウチだが、運よく空いてた。 (美味しいよモロッコは、とメニューに書かれてあったので)モロッコゴハンと、 (名古屋の名店「喫茶Jaaja」の名物ドリンク、とメニューにあったので)ピニャコラーダを頼む。最初にドリンクが来たので、その下のコースターをしげしげと眺める。 あんまりガンバると死ぬよー ダメに生きよう まるで私の心を見透かし、(ひょうきんな振りをして語る)友人の言葉のようだ。 MさんやD君のコースターの絵と言葉はもちろん違う。少しエッチで、どこか温かい。もし、これが毎回馴染み客の顔を見て、ドリンクを出す前に描かれていたら、天才だ。出てきたゴハンもドリンクもどこか懐かしい味がする。 だから、ここに来るとついつい長居をしたくなる。 午後は再び湧太郎に戻り、仕分けの残りと、観光案内休憩所に移す湧水の展示物や展示の仕方について、担当のKさんやFさん、施設運営担当者達と一つ一つ現物を見ながら話し合う。 夕刻になったので湯とぴあ雁の里温泉で一風呂浴びて、横手のホテルに向かう。 今回、美郷町ではなく横手に泊まるのは、竿灯まつりとぶつかって、どこも一杯で取れなかったからだ。 恐るべし、秋田竿灯まつり!!!!! 次の日は朝食を早く食べて「やぶ前」に行き、グラフィックデザイナーのSさんと落ち合う。前回のblogでも書いたが、Sさんは単なるグラフィックデザイナーの枠を超えて、時代の空気や新しい価値観を先取りするセンスがあり、美郷町を相対化して眺める視点も持っている。 Sさんを心強いサポーターにして、名水市場湧太郎と観光案内休憩所の使われ方や企画、展示、家具、造作などについて話し合う会議に出る。 実は、私がこの会議を要請した。というか、ここでの空気感やゆったりした時間の流れを大切にして、それを皆のコンセンサスとし、設計につなげていかないと、ありきたりでどこにでもあるような公共建築になってしまうような気がして、怖かったからだ。 最初に「忌憚のないご意見をお聞きしたいので、ざっくばらんに話してほしい」と言ったが、その通りに、「無目的ホール」や「無目的スペース」「公園」「無駄」「余白」などの共通イメージが皆の口から出てきた。誰かの一存でデザインを決めるのではなく、こういうイメージを皆で共有することはとても大切なことだ。 おかげで皆と考えている方向が一致したので、私は少し心が安心した。 午後は構造、設備と、2つの現場で具体的に建物や空間を見ながら話合いをした。 なんとなく、設計のゴールが霧の中から見え始めてきた。 珍しく、夕方5時前に全ての予定が完了した。 そのまま、MさんとD君に大曲まで送ってもらい、 予定していた新幹線を1本前倒しして帰京した。 美郷町は水に恵まれた町だが、 それ以上に人と空気に恵まれた素敵な町だと思う。 奄美やマジュロ島と同じくらい好きだ。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-08-09 19:56
2022年 05月 20日
京都の四条河原町にあるテキスタイル専門のギャラリー「GALLERY GALLERY」が今年の12月をもって閉鎖し、40年分の資料やアーカイブを散逸させることなく、新事務所へ移転することになった。それを支援するクラウドファンディングが5月末まで行われている。 https://motion-gallery.net/projects/gallerygallery-office?fbclid=IwAR1FNLgYA5nGIIvIPCzRPQNbWVDxfLRet_dC0tZzo9VuTSnte1A2eXjtA2o 実はこのギャラリーを運営するKさんとは、17年前に新宿OZONEの「英国クラフト展」の展示構成をした際に一度しかお会いしていない。だが、その後毎回、京都から展覧会の案内を送っていただき、テキスタイルの概念を拡張するそのユニークな活動に目を見張ると共に、深い尊敬の念を抱いてきた。 賀状のカードのやり取りや、ギャラリーの活動内容の本を読む度に、その念は深まっていった。 Kさんと出会うきっかけとなった「英国クラフト展」の展示構成は、当時、青山で画廊を経営していた友人のAさんから、「今度、OZONEでイギリスの現代工芸作家の展覧会があるんだけど、その作品の交渉や展示構成をやってみない?」と声をかけられ始まった。(ギャラはほとんどなかったが、親友のフィオナも参加するらしいし、面白そうなのでやることにした。) 作品の貸出し交渉はAさんも同行してくれ、目白の「三春堂」や世田谷の「ギャラリー・セントアイブス」など、イギリスの現代工芸作品を所有するギャラリーに行って作品を数多く見せてもらった。見るとどれもが面白く、話に夢中になって、時を忘れた。 Kさんと会ったのはその最後の頃で、確か何かのパーティーで、Kさんが京都に戻る直前だったと思う。持っていたイギリスの作家の作品(金属の紐で編まれた手の形をしたオブジェで、多分、木彫の手型に紐を巻いて燃やし、外形だけを残したのだと思う)を見て、思わずいいな〜と叫んで「貸してください」と言ったら「いいですよ」と言われ、借りることになった。 この展示構成で考えていたことは3つある。 1つめは、作品の横に作家や作品名のわかるプレートを置かない、ということだ。 よく美術館や展覧会に行くと、最初に作家名や作品名を見てから鑑賞する人がいるが、これでは先入観が入り、純粋な鑑賞の妨げになる。 ピカソだからいい絵なのではない。いい絵だなと思って、調べたら、描いたのはピカソで、タイトルは「ゲルニカ」だった、という風にしたかった。だから、一通り見終わった後に謎解きの大きな図解を設けた。(希望者には入口で最初に図解のコピーもあげた。) 2つめは、平面や立体の作品を壁やテーブルに規則正しく並べるのではなく、一つながりのランドスケープ(大きな島や風景)のようにし、会場に入ったら直ぐに自分の好きな場所がわかり、そこから観ていって自然にぐるっと回れるようにした。 3つめは、今回の展示のためにつくるテーブルは解体・移動・ストックができ、何度でも使用できるようにした。 OZONEではこれまでも多くの展覧会やエコロジーの催しなどが行われてきたが、倉庫が無いので毎回つくった什器は廃棄していると聞き、びっくりした。 英国大使館が協賛なので、中央のユニオンジャックテーブルは終了後に大使館に寄付し、その後何度も使用してもらった。(制作費は60万くらいしかなかったので、材料に無駄が出ないよう、3x6のアクリル板をモジュールに設計し、補強の木材もミカン箱程度の物を使用した。設営ももちろん自分達で行なった。) 当時のことを思い出すと、ほとんど毎日、ほぼ無報酬で、よくやったなぁと感心する。(ただ、事務所のスタッフのYさんからは大目玉を食らった。) そして、この時、たった一度の出会いに過ぎなかった点が、その後続いて線となり、今Kさんを支援する面となっていくのを見ると、感慨深いものがある。 12月までには京都に遊びに行きたい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-05-20 21:25
2022年 04月 30日
(C)ZDF 「映像の世紀」というドキュメンタリー番組が昔毎月1回NHKで放送されていた。 世界30か国以上のアーカイブフィルムから編集した映像と証言による20世紀の歴史を辿るもので、私はこれがとても好きだった。リアルに生々しく自分たちの生きている20世紀を感じた。 その後、続編として「新・映像の世紀」や「映像の世紀プレミアム」が放送され、これもとても興味深く見た。今月の初めからは、さらに個々の人々に焦点を当てた新シリーズが始まった。1回目はモハメッド・アリ、2回目はアインシュタイン、3回目はドイツのメルケルだった。特に3回目は初めて知ることが多く、とてもよかった。 アンゲラ・メルケルは1954年、当時の西ドイツ(ハンブルグ)で生まれた。直後に聖職者であった父と共に東ドイツに渡り、そこで育ち、やがて優秀な物理学者になる。当時は地味であまり目立たない存在だったらしい。 それに比べ、同じ東ドイツの1歳年下のニナ・ハーゲンは若い頃から自由奔放で、19歳の時に歌った「カラーフィルムを忘れたのね」は東ドイツ国民の約半分が歌えるほどヒットした。当局から言動に目をつけられ、監視されるようになったニナはやがて西側に亡命し、パンクの女王となる。 カトリン・ハッテンハウワーは画家志望の学生で、1989年仲間と共に月曜デモに参加し、体制批判の横断幕を広げてシュタージ(秘密警察)に捕まる。だが、それを契機に東ドイツ国民の鬱憤が爆発して膨大なデモとなり、やがて政府報道官の一つの失言が元でベルリンの壁は崩壊する。東西ドイツが統一し、一つになると、政治に目覚めたメルケルは政治家に転身する。 ここで、面白いフィルムが流れる。当時、まだ首相になる前のメルケルとニナがTV で対話するシーンだが、話はまるで噛み合わず、ニナは激怒して、対話を続けようとするメルケルをこき下ろし、その場を去る。やがて政治家として台頭したメルケルは首相になり、長期安定政権をつくり、ドイツの「お母さん」と呼ばれるようになる。だが、100万人以上の難民を受け入れた政策が国民の不評を買い、政治的危機を迎える。この時、画家となっていたカトリンはメルケルを強く支持する。 その後も難局が続き、メルケルは昨年12月、16年間続けた首相を去るだけでなく政界をも引退する。退任式で自らを送る曲として「青春のハイライトだった」と言って選んだのは、あの「カラーフィルムを忘れたのね」だった。 見終わった後、メルケルがとてもチャーミングに思えた。ニナもきっと心の中で和解し、祝福したことだろう。三人のささやかな行為が、やがて大きな渦となり、世界史の一つをつくっていく過程がとても身近に感じられた。 実は私は、1989年のベルリンの壁の崩壊の様子をロンドンでTVで生で見ている。 カメラマンのリチャード・ブライアントの自宅の居間でそれを見た時、初めは意味がわからずただ唖然としていたが、やがて世界が大きく変わっていくのを直感した。 そして今、TVでは毎日、ロシアのウクライナ侵攻の様子が流れている。 これは過去のドキュメンタリー番組ではなく、現在進行形で行われている、現実の戦争なのだ。 その痛ましい状況は、市民が発する日常のSNSからもよくわかる。 この馬鹿げた戦争を早く終わらせ、これを最後にする取り組みを真剣に行わない限り、愚かな私たち人間は今後も同じ過ちを犯し、やがて世界は滅びるだろう。 そういう歴史の岐路に今私たちは立たされている。 ひとごとでは済まない。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-04-30 16:47
2021年 12月 30日
港でボーッと海を眺めていたら、高校生の頃、「老人と海」の一節を英語で初めて読んだ時のことを思い出した。 英語嫌いで少しも勉強しなかったのに、それは私の心にスーッと入ってきた。 本当によいものはやさしく、何の技巧もいらないのだとその時初めて知った。 隠岐はユネスコの世界ジオパークに選ばれているので、その展示館を見たり、北前船の風待ち港の歴史を持つ町中を歩いたりしたが、海の景色や海からの景色以上には魅かれなかった。「海」を主題にすることにした・・・ 今年は人生の中で一番深い谷底を味わった。 26年間一人で行ってきた両親の介護が思ってもみなかった酷い結末を迎え、私は谷底で死をずっと考えた。 深い闇のような時間を過ごした。 だが、友人達と建築が私を救ってくれた。 私は少しずつ回復していった・・・ コンペは、案は良かったが、プレゼンを失敗した。 「海」を主題にしたことが十分には伝わらなかった。 主催者から、意見交換会の様子をライブ配信してるので見てくれ、と連絡を受け、見たが、惜しくも2次には進めなかった。 だが、島で出会った人は皆いい人ばかりだった。 食べ物もお酒も美味しかった。 奄美やマジュロと同じくらい好きになった。 いつか、また、行きたい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2021-12-30 16:20
2021年 11月 02日
秋田の美郷町で小さなプロポがあった。 秋田には教え子で元スタッフのMさんがいる。Mさんは伊香保の石段街修景計画の時に突然目覚めて、地元の秋田のために力になりたいと言って戻り、パートナーのD君(彼も教え子)と二人で設計事務所をしながら町のコミュニティづくりに積極的に参加している。 私はMさんと久しぶりに仕事がしたいなと思い、電話をかけた。 断られたらやらないつもりだったが、二つ返事でOKしたので、10月のある晴れた日に大曲で落ち合い、3人で現調した。 美郷町は大仙市(大曲)と横手市に挟まれた小さな町だが、町内に126カ所の湧水が湧き出る名水の里で、特に中心市街地にある六郷湧水群は名水百選にも選ばれ、観光客で賑わっていたが、このコロナでパッタリ止まり、その中心施設と観光案内休憩所を改修して集客力の向上とまちなかの活性化を図る必要があった。(今回のプロポは、その基本構想と基本設計) 最初に町役場に寄って中心施設の図面を見せてもらい、次にそこに行って食事をしながらゆっくり館内を見学した。コロナの緊急事態宣言・まん延防止等重点措置解除後だったが、平日のせいもあり、利用客は少ない。 建物の設計はとても上手なのに、その整備は観光客に向けてが主で、町の人に向けての整備ではないため、町民の利活用の少ないことが影響している。 次に観光案内休憩所に行った。その途中にいくつかの湧水があり、特に御台所清水はスケール感がとてもいい。(現調でなかったら、そのままベンチでボーッとしていただろう。) 観光案内休憩所は元民家を改装したらしく、小さかったが、入口付近に湧水の給水所があり、地元の人がポリタンクやペットボトルで湧水を汲みに来ていた。ここで地元の人も休憩してもらえば、観光客との交流ができる。 その後、Mさん達の知り合いのSさんのデザイン事務所に行き、話を聞いた。 Sさんは東京の広告代理店に勤めていたが、地元の美郷町に戻り事務所を開いて、まちづくりや異業種間交流に積極的に参加している人だ。事務所も少し変わっていて、細長い通路を曲がると大きなワンルームの気持ちの良い空間が現れ、Sさんの好きな小さなものがおもちゃ箱のように、だがきちんと整理されて置かれている。本当はその一つ一つを手に取りながらいろんな話を聞きたかったが、(その日はSさんもワクチン注射を夕方打つ予定があったので、)美郷町の中心市街地の様子や使われ方について率直に話を聞いた。Sさんは次から次に興味深い面白い話をしてくれ、それは止まることがなかった。 外が暗くなったので、今回、地元サポーターとして参加してほしい旨を告げると、快諾してくれ、他の仲間の人も紹介してくれた。 Sさんとのヒアリングに熱が入り過ぎ、ニテコ名水庵に着いたのは夜だった。道の駅美郷もギリギリ間に合い、どうにか見れた。その後、大曲で3人で夕食をしながら打合せ、東京に戻った。まさか地震で途中で電車が止まり、自宅に帰れず事務所に泊まる羽目になるとは、その時は思ってもいなかった・・・ 10月の終わりにプロポのプレゼンがあった。 私たちのスタートは遅い時間だったが、前回の現調同様始発で行き、(前回見れなかった)ラベンダー園や六郷温泉あったか山、名水庵を見て、仁手古神社でお参りし、ニテコサイダーを買って、たぬ中を食べ、Sさんから聞いた「やぶ前」のWさんに会いに行った。アポなしだったが偶然いらして、店内は改装中だったが、楽しい話が聞けた。 Wさんはロンドンでデザイナーとして活躍していたが、お母様の実家のある美郷町に戻り、元米屋を改装して、皆が集まるクリエイティブなゲストハウス・コミュニティスペースを作ろうとしているのだ。 「やぶ前」の名前の由来も、古くからある皆でよく行く蕎麦屋「やぶ茂」の前にあるから、というのもなかなかいい。 時間が来たのでお暇し、町役場に行って、広場で少し練習して本番に臨んだ。 私たちの提案は、2つの施設を町民も普段から利用して観光客と積極的に交流できる「まちなか交流施設」にする、というものだが、多分理解されたと思う。 終わった後、やはりSさんから教わった「ゴマシオキッチン」に寄った。 ここは夫婦二人でやってる喫茶店で、入口の雰囲気も、中の雰囲気も、一見普通だが力が抜けてて洗練されてて面白い。まるで映画の中のある懐かしいシーンを見ているようだ。 メニューを見ると、ホットチョコレートがある。 「バッファロー'66」の中でヒロインが好きで飲んでたシーンを思い出す。 頼んだら、顔のラテアート付きで面白かったが、コースターがメッセージ付きの手作りで、それ以上に面白かった。こんなイカした喫茶店がこんな所にあるなんて‼︎ 3人で小一時間ほど話し込んだ。店が5時に終わるのでお暇しようとしたら、レジで夫婦と再び楽しい会話で盛り上がり、5時を遥かに過ぎる。 店を出て大曲に急いだが、着いたのは東京行きの新幹線が出る寸前だった。 女性駅員の機転で切符を買わずにそのまま列車に飛び乗り、車内で大曲駅乗車証明チケットを見せて切符を買った。女性駅員に感謝した。 今日、美郷町から私たちが受託したとの連絡を受けた。 多くの素敵な人たちと楽しい時間を過ごせることに深く感謝したい。 かずま #
by odysseyofiska
| 2021-11-02 20:35
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