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2023年 03月 28日
3月の初めに京都のKさんから展覧会の知らせが届いた。 関西を中心に活動するテキスタイルグループ「オリリズム」が3月半ばに東京の桑沢デザイン研究所で展覧会をやるという。 Kさんも来るのだろうかと思いながら、観に行きますと連絡すると、Kさんも初日のギャラリートークに間に合うよう行くと返事が来た。かくして、私たちは18年ぶりに会うことになった。 blog(https://odysseyi.exblog.jp/241458147/)でも書いたが、Kさんとお会いするのはこれが2度目である。初めて会った時も、作品を借りる交渉をしただけで、話らしい話はしていない。お互い風貌も変わっただろうし、わかるだろうかと思いながら、当日会場に行ったが杞憂だった。一目でわかり、軽く挨拶して、(ギャラリートークまでは時間があったので、)近くにある Body & Soul でランチすることにした。ところがその日はライブで、ランチは無いという。しょうがないので、パルコの地下でドイツビールと軽い食事をしながら話をした。 Kさんは京都の老舗テキスタイルギャラリーをその設立メンバーから受け継ぎ、長い間運営してきたので、さぞかし筋金入りのテキスタイル愛好家だと思っていた。だが、実際お会いして話を聞いてみると、とても肩の力が抜けて、飄々としている。テキスタイルとの出会いも、ファッションが好きで、作るのも好きだったので、大学に入り直して学んだが、設立メンバーでもある先生から声を掛けられ、そのまま引き継いだのだという。言葉にすれば簡単だが、お金儲けとは対極にあるテキスタイルアートの作家達に発表の機会を提供し、活動の援護射撃をし続けるのは大変だったに違いない。 ギャラリーのあった建物は四条河原町にある由緒正しい建物だが、その資料やアーカイブを散逸することなく移転した新事務所の入る建物も逓信省の由緒正しい建物らしい。こういうセンスも素晴らしい。 ギャラリートークの時間が来たので会場に戻り、作家達の話を聴いた。 最後に司会者から指名されてKさんが恥ずかしそうに話をした。 裏方さんの仕事を続けながらみんなから慕われるカッコイイ人だ。 同じ頃、萩のCさんから、今度東京で椅子展をやるという知らせを貰った。 Cさんとはまだ一度も会ったことがない。なのにどこか旧くからの友人のような気がずっとしている。 Cさんと知り合う切っ掛けは2年ほど前に行われた「萩暮らし案内所」のプロポーザルで、藩校明倫館跡地に建つ旧明倫小学校の一室を、移住・定住・関係人口の創出、拡大を図るための施設に変えるという内容だった。この由緒正しい建物をそれに相応しい空間デザインに変えてワークショップしながらつくるため、私は萩市内にある畳屋や染物屋、家具・木工所を調べ、コンタクトを取った。 Cさんのウェブサイトは独特だった。簡単に言えば、やんちゃだった。 (後で知ったが、Cさんも私のサイトはやんちゃだと思ったらしい。どこか相通じるものがあるのだろう) 結果的に私の事務所の案は2位で、Cさんとはそれきりになるはずだった。 だが、知らせをもらい、会いたくなった。猿楽橋沿いのギャラリーに行った。 このギャラリーは元々アパレルの会社の一室だったのを転用して使っていて、内装や室礼に風情がある。 入ってすぐのソファにCさんがいた。挨拶をして、話を始めたらすぐに打ち解け、2年前の話やいろんな話で盛り上がった。 Cさんは、元から家業の木工所を受け継ぐ気はなく、都会で暮らしていたが、台風で工場の屋根が飛んだのを機に実家に戻り、埃をかぶった製材機や古い道具を見るうちに、壊れた家具を解体しては独学で学び、やがて自分で作り始めたらしい。 モチーフは好きだった映画、スターウォーズやターミネーター、バットマンから来てるのが多いと、子どものように人懐っこく笑いながら言う。そしてそれをそのまま体現しているかのような家具が並ぶ。 最後の方に、手作りの創作ノートが何冊か置いてあった。見ると、ピュアで朴訥なCさんそのままだ。 今度こそは一緒に仕事がしたいなと思った。 お互い再会を期し、雨の中、帰った。 かずま #
by odysseyofiska
| 2023-03-28 17:18
2023年 01月 31日
世田谷美術館で「祈り・藤原新也」展を観た。 藤原新也は写真家であると共に、旅人、作家、批評家でもあり、私や私たちの世代に影響を与えた人間の一人だ。その彼が70代後半を迎えて、その集大成とも呼べる展覧会を、生まれた北九州、そして東京で行った。 藤原新也の写真を初めて見たのは、彼を有名にした処女作のアサヒグラフの「インド放浪」(’72)ではなく、それから6年後にパルコから出版された「七彩夢幻」(’78 アートディレクターは石岡瑛子)だ。この北インドとモロッコの幻想的で強烈な色彩の女性と衣服の万華鏡に私の心は奪われた。 次に藤原新也の名を知ったのはエッセイ集「東京漂流」(’83)で、この本で初めて彼の文章に触れ、藤原新也は文明や社会に対し鋭い直感力のある批評家なのだと知った。 そして、写真にキャッチフレーズのような短文を添えた「メメント・モリ」(’83)で、彼の写真+文による表現者としての資質は花開いた。 展覧会でもそれは十分に堪能できる。 私は当初、この展覧会のタイトルに「祈り」という言葉が添えられることに違和感を覚えた。 藤原新也のように、放浪の旅や激変する社会の中から独自の思想や言葉を紡いできた人間が、「祈り」という誰もが使う従順な言葉で自己の仕事を総括することへの違和感だが、会場のはじめの方に次のような言葉があった。 「・・・・・・・・・ わたしが世界放浪の旅に出た今から半世紀前 世界はまだのどかだった。 自然と共生した人間生活の息吹が残っていた。 幸いにもわたしはそんな日々を旅することができた。 そして一心に写真を撮り、言葉を発した。 ときには死の危険を冒してさえ その世界に分け入ったのは、 ひょっとすると目の前の世界が やがて失われるのではないかという 危機感と予感があったからかもしれない。 その意味において わたしにとって目の前の世界を写真に撮り 言葉に表すことは ”祈り”に近いものではなかったかと思う。」 この言葉は、混迷する今の時代から振り返ると予見的であり、腑に落ちた。 新しい発見があったわけではない。 だが、昔の自分を思い返しながら、充実した時を過ごした。 かずま #
by odysseyofiska
| 2023-01-31 17:10
2022年 12月 09日
とりわけ愚かだったのは、大国が自国の利益のために隣国を襲った行為だ。 しかもその隣国はかつては兄弟だった国で、共に未来に向かって歩んでいた国だ。 自分のことばかり考えると周りが見えなくなる。そして自分自身も見えなくなる。 善悪の判断の基準は全て自分で、自分の立ち位置からしか物事を見なくなり、 都合の悪い事は嘘と言い包め、都合の良い嘘は真実に塗り替えられる。 心が失われていく。心の基盤であった愛も失われていく。 世界がどんどん力と物と金の世に変わっていき、それを基準に全てが語られる。 文明の進化や繁栄とは逆に、心と愛はどんどん貧しくなっていく。 世界は滅亡するかもしれない。愚かな者達のために。 だが、ここに一縷の望みがある。パンドラの箱の底に残ったエルピスのように。 私は教育の場で時を共にしたので、これからの未来を託す若者達を信頼している。 世界がどんなに暗くなっても、希望の光を忘れたくない かずま #
by odysseyofiska
| 2022-12-09 18:27
2022年 11月 11日
日、月と大阪に用があり、出かけた。 途中下車して、京都で降りた。「GALLERY GALLERY」が12月末に閉館するので、その前に一度見ておきたかったのだ。 早朝の新幹線で出かけたので、9時前に京都に着いた。ギャラリーが開くまでには3時間くらいある。ふとJazzが聴きたくなった。 Jazz喫茶をスマホで検索すると何件かヒットした。さすがに私が昔行った「しぁんくれーる」「フレンチクォーターラブ」「Big Boy」「Bluenote」はない。 日曜日の、しかも朝9時から開いてるJazzの聴ける店なんて無いだろうと思っていたが、なんと1軒あった。電話をかけると「やってます」と言う。 場所は北大路通沿いの大徳寺のそばだ。久しぶりの京都なので北大路駅からゆっくり歩くと、大徳寺を過ぎた辺りにその店「Cafe Zino」が見えてきた。 階段を7、8段上ってドアを開けると、窓側に4人席のテーブルが2つあり、先客の女性がいた。私は普段は窓側が好きなのだが、マスターと話がしたかったので、誰もいないカウンター席にした。 クラシックが掛かっていた。確かに店の入口には「軽音楽と炭焼珈琲」と書かれていたし、店の雰囲気もそんな感じだ。初老のマスターに挨拶し、スマホでJazz喫茶を検索したらこの店が出てきたと伝えると、「ウチはJazz喫茶ということになってるらしいですね」と小さく笑いながら言う。 壁側にはLPやSPレコードが3000枚くらいある。聞くと、そのうちの1000枚くらいはJazzだと言う。ジャンルは?と聞くと、1920年代くらいからの古いのが多いですね、と言う。(私の持ってるレコードで一番古いのはサッチモの「1928」で、それ以降は30年代がチョロ、40年代がチョロチョロで、50年代以降がほとんどだ。)じゃ、ビックス・バイダーベックなんかも?と聞くと、ええ、ありますよ、と言う。でも、Jazzを聴く切っ掛けは、やはりモダンジャズからだと言い、(丁度、掛かっていたクラシックの片面が終わったので、)マイルス・デイヴィスの「Cookin'」のA面「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を掛けてくれる。 私がJazzを聴く切っ掛けになったのは、1973年にソニー・ロリンズが日本に来てNHKで演ったライブを偶然聴いたからで、その時はそれがJazzだと知らなかったと言うと、サキコロを出してきて掛けてくれる。しかもLPは2枚あって、アメリカ版はジャケットがロリンズの白黒写真で、この方が音がいいと言う。 チンさんと剛さんの話をすると、剛さんの名作「Misty」を出してきて、これまた掛けてくれる。そして、この盤は実は4枚あり、全て持っていて、最初のと後のでは音の造り方が違うと言う・・・ いやはや、なんのなんの、筋金入りのJazzマスターだ。 出してくれた炭焼珈琲もコーヒーゼリーも美味しく、話の合間も身体の悪い常連さんへの気遣いやサポートも素晴らしく、久しぶりに心から癒された。 本当はもっと居たかったが、ギャラリーの開く時間が近づいてきたのでお暇した。 京都に来たら、これからは必ず寄りそうだ。 その交差点から見える寿ビルディングの5階に「GALLERY GALLERY」はあった。 (この建物は登録有形文化財に指定されていて、1階にはその展示もあった。) 奥にエレベータもあるが、5階なので、できた当時を思いながら歩いて上がった。 階段を上りきった所にドアが招き入れるように開かれていた。 中では、ばんばまさえさんのテキスタイル展が開かれている。 ギャラリーのオーナーのKさんが不在なのは事前のメイルで知っていたが、主不在のギャラリー内をまるで居るかのように会話しながら歩いてまわった。 窓からの白い自然光がやわらかく降り注ぎ、室内の古い壁や床や天井も白く塗られ、まるでニューヨークのソーホーのギャラリーのようだ。 展示スペースは十畳程で小さいのに、ミクロコスモスな茶室のように感じられる。 ガラス越しに外から中が見えるのも、なかなかチャーミングだ。 忘れられない空間の一つになった。 他の部屋の本屋や洋服屋、ギャラリーも面白かった。 気がついたら1時間半もこの建物にいる。 後ろ髪を引かれる思いで、京都河原町から大阪梅田に向かった。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-11-11 14:34
2022年 09月 24日
中学時代の恩師T先生が亡くなり、追悼文集を作る話がメイルで送られて来た。 T先生は国語の教師で、愛嬌のある少し小太りな容姿と、心の機微に触れる授業は生徒からも人気が高く、名前が俊三なので「俊ちゃん」と呼ばれ慕われていた。 私は外部から来たので、入学当初は何もかもが新鮮で、かつ不安だったが、俊ちゃんはいつも温かく、冗談を言いながらよくかわいがってくれた。 二つ返事でOKした。 書きながら当時のことが蘇ってきた・・・ * * * 附中に入学して最初に驚いたのは、数学の教科書がガリ版刷りのわら半紙で、集合や論理など、それまで一度も聞いたことのない内容が書かれていたことだ。それは数年後に採用される教科書を先取りした授業で、我々はモルモット(でもある)ということを初めて知った。(じゃ、そのコマッちゃんの授業は面白くなかったのかというと全く逆で、とても面クロかった。初めて知ることは何でも楽しい。) それと同じくらいユニークな教科書は3年の時に俊ちゃんから配られた、文芸評論や小説の一節、詩、手紙、日記、新聞記事など、日頃から俊ちゃんが気になってる文章や題材をランダムにまとめた本で、これはきちんと製本され、(記憶が正しければ)濃い緑色の紙で巻かれていた。そして授業で俊ちゃんはそれらを縦横無尽に読み解きながら、楽しそうにみんなに解説してくれた。(普段は誰かを指名し読ませたが、好きな詩や文章になると自分で音読して、細かなニュアンスまで熱っぽく語った。) 私はそれまで漠然と(読書が好きだ)くらいに思っていたが、初めて(日本語が好きだ)、特に(日本語の言葉の響きは好きだ)という風に目覚めていった。 「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」「ホラホラ、これが僕の骨」「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。」など中也の詩が多く出てきて、おかげで中也の詩集を買い、その言葉の響きと音楽のような感覚に酔いしれた。そしてその延長上にあるランボーの詩も好きになった。 詩だけでなく普段の文章も、書きながら何度も読むことで日頃から自分のしゃべる言葉により近づき、息継ぎのブレスの大切さやリズム感の大切さも感じるようになった。 こうした身体で言葉を感じるようになる切っ掛けは、俊ちゃん読本とその熱意溢れる授業にあったと今改めて感じる。 後年、私はある大学で19年間非常勤で建築の設計を教えたが、4年生のテキストで「発想法のトレーニング」と称して自分の好きな建築や建築家の作品を20程選んで、その写真や図面を編集したコピーを配り、「さあ、この建物のどこが面白いのか、説明してごらん?」という授業を学生に行った。ともすれば固くなりがちな頭を柔らかくして柔軟な発想を身につけてもらいたいと思ったのだが、その授業の源は俊ちゃん読本から来ていることにこれを書きながら気づいた。(今回の追悼文の制作過程で、俊ちゃん読本は正しくは「読み取りの力」と言うのだとツーちゃん(辻信作)から教えてもらった。) 良き師、良き思い出に深く感謝する。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-09-24 17:21
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