遺言1
2023-11-22T01:40:32+09:00
odysseyofiska
日記です
Excite Blog
「告白」と「白痴」
http://odysseyi.exblog.jp/241978608/
2023-11-19T18:30:00+09:00
2023-11-22T01:40:32+09:00
2023-11-19T18:30:42+09:00
odysseyofiska
未分類
一月程前、中学の同期の仲間達と旅をした。その時、久しぶりに会った読書家のMさんに、何か面白い本ある?と聞いた。
最近、仕事の本やハウツー本に偏り、めっきり小説や文学作品に触れてないので、少し干からびた心に水をやろうと思ったのだ。
Mさんは直ぐに、最近読んだ町田康の小説に頭を殴られたようにまだ呆けている、最後の方がドストエフスキーの「白痴」の最後のように、青空がすぽんと抜けてるような透明感、しかも無音の世界だった、と語った。
その時は食事中で、小説の題名を聞きそびれたので、後でメイルで聞いたら、「告白」だった。図書館にあったので、借りて読み始めた。
実はこの小説は読売新聞の連載中に少し読み、途中でやめてしまった小説だ。
当時、交通事故で左脳をやられた父を看ていたので、頭を殴るシーンや殺人などが出てくると気分的に読めなくなり、これはまさにそれだった。
だが、Mさんの言う「青空がすぽんと抜けてるような透明感」や「無音の世界」がどんなものか知りたくて、今回読み始めた。676ページもある大部の小説、しかも河内弁の会話や地名、難しい漢字も多く、途中までは難儀したが、後半は慣れ、なんとか読み終えた。
題材は河内音頭の「河内十人斬り」でも取り上げられている、明治26年に実際にあった話で、それを町田康は戯作調に活写し、主人公の気持ちや思考の流れをドストエフスキーのように代弁していく。
読んでみてわかったのは、私が読むのをやめた最初の殺人(らしき出来事)が起こるのは、始まって間もなく、全体の1/10を過ぎたくらいの所で、全体の1/3は新聞連載後に新たに書き加えられた、私にとっては未知の新作と言ってもよい代物だった。
主人公は多くの思弁を繰り返したあげく、金と女と仁義で恨みつらみのある人間達を舎弟の協力を得ながら斬り殺す。そして山に逃げ込み、行方を眩ましながら取り逃がした者の殺害を目論む。だが、最終的には舎弟を銃で撃ち、自分も自害する。
その最後のシーンで、自分の人生を振り返りながら、暴力の先にある到達した何かを言葉で表そうと必死にもがく。
熊太郎はもう一度引き金に足指をかけ、本当の本当の本当のところの
自分の思いを自分の心の奥底に探った。
曠野であった。
なんらの言葉もなかった。
なんらの思いもなかった。
なにひとつ出てこなかった。
ただ涙があふれるばかりだった。
熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
銃声が谺した。
白い煙が青い空に立ちのぼってすぐに掻き消えた。
何もなかったのだ。無だったのだ。呆然とする結末だった。
(つづく)
Odyssey of Iska150-0001 渋谷区神宮前2-6-6-704tel. 03-5785-1671
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神戸
http://odysseyi.exblog.jp/241965124/
2023-10-31T19:36:00+09:00
2023-11-20T15:50:41+09:00
2023-10-31T19:36:02+09:00
odysseyofiska
未分類
神戸に行った。
以前、中学の同期で四国を旅した際、次はIさんのいる神戸だね、と場所は決まっていたのだが、コロナで延び延びとなり、5年ぶりに実現した旅だ。
行く前にIさんから何度か日程表がメイルで送られてきて、それにみんなが返信し、ワイワイガヤガヤ騒がしい。既に旅しているような気分だ。
当日は午後2時少し前に新神戸駅に集まり、ポートループバスで旧居留地を周るのだが、私は午前中から神戸に行って、ジャズ喫茶で久しぶりに一人でジャズを楽しむことにした。
神戸は横浜と日本のジャズ発祥の地を争うくらい、ジャズの盛んな街だ。
当然、ジャズ喫茶やライブスポットも多い。だが、午前中からやってる店はさすがに少なく、そのうちの一つ「M&M」に開店11時に階段を上り、滑り込む。
当然、客は私一人だ。パット・メセニーの「Secret Story」がかかっている。
ブラジルやワールドミュージック、ジャズ、ロックの香りがする快適で爽やかな朝の始まりだ。
水出しコーヒーを飲みながらオリジナルバームクーヘンを食べる。美味しい。
立って、一つ一つの調度品やポスター、絵を眺めながら部屋を一周する。
その間、マスターはずっと私を一人にさせている。とても寡黙な人だ。
ランチタイムになり、客が2人、3人と入ってきて、マスターの忙しく応対する姿を眺める。そしてパットのCDが終わるのを見計らって外に出る。
三宮の街をゆっくり見ながら、新神戸に向かう。
着くと、なんと欠席すると言ってたHさんがいるではないか!びっくり!
だが、バスが再び三宮に着いた時、突然、彼女が降りたのには二度びっくり!!
わずか30分みんなと会うために、わざわざ奈良からやってきて、予定があるのでまた奈良に戻るのだ。こんな奇特な人はめったにいない。
バスが終点のハーバーランドに着いたので、降りてホテルにチェックインし、再びハーバーランド、メリケンパークをみんなで散歩する。私は神戸は4回目だが、海辺を歩くのは初めてだ。横浜や生まれた長崎を思い出す。(メリケンパークには1995年の阪神・淡路大震災の傷跡を保存したメモリアルパークがあった。)
そしてシーバスに戻り、クルーズ船を待つ。(そこから見える工事中のポートタワーの工事フェンスはよかった。さすが、神戸!)
クルーズ船は6時丁度に出発し、港の外に出た後再び引き返し、神戸大橋の近くで止まって海から花火を見る。最初はちょっとスケールが小さいな、と思ったが、「BE KOBE」の文字の花火や大観覧車を模した花火など、工夫された花火がいくつもあって、見ていくうちにおもしろくなり、記憶に残る花火となった。
夜は港の近くの最上階の個室でみんなで食事し、その後ホテルに戻ってT君の部屋に集まり、遅くまで話し込んだ。時間はいくらあっても足りない。
翌朝は9時にホテルを出て元町に行き、旧居留地や元町商店街をみんなで歩いた。
その後、シティループバスで新神戸に行き、ロープウェイでハーブ園に行った。
ここは全く知らなかったが、なかなか気持ちの良い所で、休日であれば、日がな一日のんびりしながら、神戸の全景を見たり、いろんなハーブの香りを嗅ぎ分けたり、ドイツビールを飲みながら楽しい話をしたり、足湯に入ったり、ハンモックで昼寝をしたり、日没までゆっくり過ごすだろう。
だが、楽しい物語にはいつも終わりがある。
日が傾きかけた頃、ロープウェイで新神戸に戻り、散会した。
帰りの新幹線でボーッと外を見ながら楽しかった時間を反芻した。
東寺が見え、列車がスーッと京都に止まった。
その瞬間、昔、修学旅行で初めて行った奈良・京都を思い出した。
あの時は古い寺や庭の良さが全く分からず、退屈だった。
だが、二度目の修学旅行で奈良・京都に目覚め、大学時代は毎年通った。
人生も後半に入った今、純粋な時代に出会った人々で、
紅葉が花吹雪のように舞う頃、京都を旅してみたい。
その時、みんなはどんな話をするのだろうか・・・
そんなことを夢想しながら東京に戻った。
かずま
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遠い日の 深い何かの思いについて
http://odysseyi.exblog.jp/241890153/
2023-07-31T19:45:00+09:00
2023-10-31T17:43:44+09:00
2023-08-02T19:45:58+09:00
odysseyofiska
未分類
(C) The National Shrine of Our Mother of Perpetual Help
一月程前の話だが、マニラに行った。
ある有名な教会の、1年間に渡る設立75周年記念行事の最後のミサに出るために。
この教会のCoffee table bookに付けるポップアップを私が担当することになり、七転八倒した話は既に書いた。(→https://odysseyi.exblog.jp/241792121/)
だが、それは4月が終わっても、5月になっても、メイルや電話のやりとりが続き、内心ヤキモキした。本当に間に合うのだろうか?
遅くなったのには理由がある。
ポップアップの背景がなかなか決まらなかったのだ。
当初、ベトナムの制作チームは実際の敷地をリアルに再現し、建物もリアルな色にしようとした。だが、それは今回のCoffee table bookの内容や主題には相応しくない。クライアントのMさんがポップアップを本に付けようと思ったのも、そしてそれを私に依頼したのも、もっとピュアなファンタジーの要素、現実ではない神の世界に近づくための端緒をこのポップアップに求めたのではないか。
なので、今あるものをただ並べただけのデザインや、現実を可視化するだけのデザインはしたくなかった。
ドノバンの唄う「Brother Sun Sister Moon」をかけたり、「もっと天国にしてくれ」などとわけの分かったような分からないようなことを何度も言った。
そんなある日、夢の中で、この教会の最も象徴的な絵「幼子イエスを抱くマリア」の二人が、雲の中で左右に分かれ、その間に教会が浮かぶシーンが現れた。
目が覚めた時、これしかないなと感じた。
スタッフのK君が60種類以上の色で何度も打ち出し、その内の一枚をマニラとホーチミンに送った。
マニラに着いた時、本やポップアップが完成してるのか、してないのか知らなかった。翌日のミサやその後のレセプションの準備で皆忙しそうだった。
当日は夕方までホテルで待機し、ミサの始まる直前に教会に行った。
前から数列後ろの席にいたら、一番前に行くようスタッフに促された。おかげでミサの様子がよく見えた。
ミサはとても盛大で、1時間半くらい続いた。その間、参列者と同じように振る舞いながら、昔初めて教会に行った頃を思い出した・・・
4、5歳頃だった。
毎日曜日、朝、長崎の小さな教会に通った。小さな手に5円玉を握りしめて。
父と母はクリスチャンではなかったが、我が子の教育に良いと思ったのだろう。
黒い服をまとった神父は幼い子でもわかるよう、いつもやさしく語ってくれた。
半分くらいは上の空だったが、残りの半分くらいはどこか心に残った。
話が終わると、前から順々に黒い帽子が回ってきて、それに5円玉を入れた。
そして一列に並び、ウエハースのような小さなものをもらい、食べた。
この儀式を幼い子どもは大変気に入った。
精霊が自分の体内にスーッと入っていくようで。
幼稚園もその小さな教会にあったので、そのまま通った。
毎回、食事の時はお祈りをした。時々薄眼を開けて、みんなの様子を見ながら。
ある時、先生と衝突して「神様なんか在せん!」と叫んだ。すると先生は言った。
「在すよ、心の中でかずまくんを見ているもう一人のかずまくんが。
それが神様です。」
ドキーンとした。それ以来、神様が自分をずっと見ているような気がしている。
それから30年以上経ったある日、
父が交通事故で脳をやられ、どうなるかわからない、と母から突然電話を受けた。
病院に向かう電車の中で西に沈む夕陽に向かって深いお祈りをした。
(神様、私の命と引き換えに、大好きな父を生かしてください。
その代わり、私の命と人生はあなたに捧げます。)
だから、それ以降の私の命と人生は私のものではない。
そんなことの一つ一つが走馬灯のように蘇っていった。
私はクリスチャンではないが、生まれた長崎の影響を強く受けている。
それは単にキリスト教のことを言っているのではなく、丘の上から見た西に沈む夕陽や、その後に現れる夜の星、風に揺れる山川草木や、そこに潜む命など、初めて見た頃の自然に対する慈しみや畏敬の念の数々で、その思いは年々深まっていく。
それが私の言う神であり、特定の宗教の神を指してはいない。
だが、その切っ掛けは、あの幼き日の日曜学校から始まっている。
ミサが終わり、神父たちが退場して一段落した頃、Coffee table bookの発行セレモニーが始まった。本の編集やポップアップに関わった人々が壇上に上がり、記念撮影をした。その時、本とポップアップが初お披露目されたので、少なくとも数冊は完成していることを知った。間に合ってよかった、と安堵した。
その後は教会に隣接する信徒館で盛大なパーティが開かれ、関係者で夜遅くまで賑わった。ホテルに戻った時は翌日を回っていた。
翌朝は編集者のAさんとゆっくりホテルで過ごした。
午後にMさんが来て、空港まで送ってくれた。
別れ際に大きな薄いダンボールケースを渡された。
中身を聞いたら、「ドライマンゴーだ」と言ったので、成田の税関チェックでも「ドライマンゴーだ」と答え、そのまま外に出た。
家に着き、開けてみると、それは完成したばかりの本とポップアップだった。
私は感動で涙が出そうになった。
またしてもMさんにやられた!
と思いながら、夜中の3時まで本とポップアップを何度も開き、見惚れた。
かずま
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美郷町(その3)
http://odysseyi.exblog.jp/241818299/
2023-05-31T22:01:00+09:00
2023-08-02T18:33:19+09:00
2023-05-31T22:01:01+09:00
odysseyofiska
未分類
美郷町に行った。3年目の仕事が始まった。
今年度は、昨年、実施設計した名水市場湧太郎、観光案内休憩所の改修の現場監理と展示デザイン・制作を行う。
いつものように大曲の駅でMさん、D君にピックアップしてもらい、六郷の名水市場に直行する。東京の家を朝5時に出ると、10時15分には目的地に着く。秋田は近い。そう思わせてくれるのは、日本の鉄道の優秀さと時間を必ず守る律儀な国民性から来てるのだが、むろん外国ではこうはならない。日本に生まれたことに感謝する。
名水市場ではネイチャーガイドのTさんが出迎えてくれ、程なくして現れたこの仕事の役場の担当者のKさんと3人で六郷湧水群を見て回る。Tさんはお手製のパネルで説明をしながら時々問題を出し、私やKさんが答えると、「ご名答です」と応じる。まるで3人でブラタモリを演ってるみたいだ。
このガイドツアーを薦めてくれたのは実はMさんとD君で、体験してよかった、町の人の生活に湧水が根付いてるのがよくわかったと言ってたからだ。
私たちがやろうとしている展示デザイン・制作は、従来の綺麗な写真とロゴのポスターや学習的なものではなく、美郷町の湧水群は町中に湧き出て、古くから生活と密着してきたので、それを一つ一つ掘り起こして、ほっこりした、美郷町ならではのものにしたいのだ。
藤清水まで来ると爽やかな風が吹いて気持ちが良かった。
この場にずっと座って、やさしく揺れる水面をボーっと眺めていたかった。
午後は観光案内休憩所で、デザイナーのSさん、Kさん、Mさん、D君、私、の5人で展示デザイン・制作についてディスカッションをした。というか、フリートーキングをしながら、感覚的なキーワードやイメージ、アイデアを出し合った。
無理に決めるとウソになる。この段階では妙に決めつけないで、出てきたいろいろなものを身体で咀嚼しながら楽しんでいく。そのうち射程距離の長いものだけが確かなものに変わって残っていく。ある意味、一番創造的で楽しい時間だ。
その後、今夜泊まる「やぶ前」の鍵を借りに、Wさんのいる「北のくらし研究所」に行く。ここは美郷町が合併する前の旧六郷町役場だった所で、そこを有効活用するためのコンペで提案書が選ばれ、ギャラリー、イベント、ワークショップ、工房、クリエイターインレジデンスに変わりつつある。いわば、美郷町の新しい風だ。
もう直ぐ行われるパフォーマンスイベント「ちょうちょう(町長)はどこですか?」の準備の真っ最中で忙しかったろうに、Wさんは館内を案内してくれ、興味津々でみんなでゾロゾロ見ていくうちにいつの間にか屋上まで上ってしまった。
横手盆地がぐるっと見渡せ、遠くに大好きな鳥海山も見える。
「今日は天気がいいので、田んぼに沈む夕陽を見に行こう」とWさんが言う。
凄いスピードで走るWさんの乗った車にどんどん離されて行く。
気がついたら、スキー場のゲレンデにいた。
草むらを通り抜けていくほのかな風を感じながら、沈む夕陽をずっと見ていた。
至福の時間だった。
翌日は、午前はネイチャーガイドのTさんとKさんに湧水のヒアリングを行った。
午後は、工事の施工を行う担当者たちと(zoomでは事前に話をしていたが、)直接顔を合わせるのは初めての全体会議を行い、工事の注意点や情報共有、スケジュールの確認、質疑などを行った。
現場が始まった。
かずま
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ドライマンゴー殺人事件
http://odysseyi.exblog.jp/241792121/
2023-04-30T15:12:00+09:00
2023-05-31T21:24:22+09:00
2023-04-30T15:12:35+09:00
odysseyofiska
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2月の初めにクライアントのMさんから不思議なオファーが来た。マニラにある有名な教会の75周年記念にCoffee table book(写真やテキストで構成したハードカバーの大型本)を出すので、それに付ける教会のポップアップを作ってくれ、同じ建築だからお前ならできるだろ?という無茶振りである。
Mさんからの依頼はいつもこんな感じで、初めはギョッとしたが、だんだん慣れて来て、毎回それを楽しむようになった。
だが、今回は勝手が違う。私は東工大のC先生と違い、建築のポップアップなど作ったことがない。聞くと、4月には出版したい、冊数は5万冊で、ローマ法皇にも献上すると言う。少し青くなり、真剣に調べ始めた。
この教会のwebサイトを見ると、昨年の6月から記念行事は1年間行われているので、4月の出版、5万冊は?だとしても、6月の記念行事の終わりまでには本とポップアップの制作は必須だろう。
図面を求めても、設計当初の青焼きの立面図、教会のパンフレット程度の平面図、十数枚の写真しか送られて来ない。しょうがないので、それでポップアップ用の図面を作り、試作品を作ることにした。
ポップアップは飛び出す絵本として知られ、私も昔から恐竜や海の動物などいくつか持っているが、建築は外観だけの、子どもだましの物がほとんどだ。だから、やるならインテリアもバッチリ見えるものが作りたかった。
調べて行くうちに、(これも外観だけだが、)繊細なニューヨークの聖パトリック教会のポップアップをネット上で見つけ、4つ購入して、分解しながら試作品を作った。そして販売元に電話し、協力を仰ぐことにした。だが、そこは輸入し売ってるだけで、実際の制作はベトナムのホーチミンの会社が行っていることがわかった。しかも取引きは数年前に終了し、その後のことはわからないと言う。
会社の名前と住所を教えてもらい、調べて行くうちに、ホーチミンがポップアップ制作の一大拠点で、他にも何社か似たような会社のあることがわかった。
Mさんにこれまでの経緯を報告した。すると、すぐにマニラに来てくれ、そして教会を見てプロジェクトチームとミーティングした後、一緒にホーチミンに行こうと言われた。
かくして2月の終わり、マニラとホーチミンに行った。
教会は水曜日のミサで、夜なのに凄い人出だった。ホーチミンでは4社と面談した。帰りは深夜便で、羽田に着く寸前にCAの天使のようなささやきで眠りから覚めた。
戻ってからすぐにポップアップ用の図面を各社に送った。1社からすぐに2パターンの試作品ビデオが送られてきた。ほどなくしてもう1社からもきた。どちらも意欲的でクオリティが高く、ハングリー精神を感じる。Mさんは彼らをマニラに招き、教会を実際に見学させたので、やたらリアルだ。スケッチや写真で手直しを指示し、そのやり取りを繰り返してブラッシュアップしていく。
一方、本はハードカバーとソフトカバーの2バージョンで印刷は何版かに分け、本とポップアップも大きさは同じだが別々にすることを提案し、了承された。
そうすることで第1版の冊数を減らし、本の印刷はシンガポール、ポップアップはベトナムで制作することができる。
また、ポップアップを見ながら本を読むこともできる。
だんだんリアリティが出てきた。
4月に入り、時間が迫ってきたので、ブラッシュアップしたモデルをマニラに送ってもらい、プロジェクトチームで決めることにした。
着いた日も次の日もマニラは珍しく雨だった。
Mさんの会社の特別室に行くと、プロジェクトチームのみんなが集まってて、一月半ぶりの再会に話が弾んだ。
と、そこへいきなりケーキが運ばれ、ハッピバースデーの合唱が始まる。
びっくりした。実はその日は私の誕生日なのだ。どうして知ったのだろう?‥‥
だが、それは早とちりで、プロジェクトチームのまとめ役Lさんの誕生祝いだった。
祝いが一段落した頃、(同じ日だ)とLさんにささやくと、
(本当は数日前だ)とLさんに返され、
「今日はカズマの誕生日だ!」とバラされた。
すると、みんなが驚き、大合唱になった。
それから3日間、私の誕生日祝いを出しに、毎晩遅くまで食事会が行われた。
おかげで朝、ホテルで食事をする気がしなかった。
1社のブラッシュアップモデルの到着が遅れたので、1日滞在を延ばした。
みんなでいろいろ討議したり、モデルに少し手を加えてみたりしたが、まだまだ改良すべき点があり、1社に決められなかった。軽い徒労感が残った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空港までMさんがいつものように送ってくれた。
ドサッと大きなリボンの着いたダンボール箱を、中身は何かも言わずに渡された。
羽田の税関で「中は何ですか?」と聞かれた。
カッターで開封すると、金色に光る物が見える。
「ヤバい!金塊だ‼︎」
だがそれは金色の袋に入ったドライマンゴーの山だった。
毎日私が特別室に缶詰になり、土産を買う暇もなかったので、Mさんが気を利かせてくれたのだ。
一袋300gで、50袋なので、15kgだ。どうりで重いわけだ。
トランクの中の他の品を寄せると何とか入ったが、超重い。
ゆっくり押して家に帰ると、午前0時近くだった。
死んだ。
かずま
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有朋自遠方来、不亦楽乎(その2)
http://odysseyi.exblog.jp/241764004/
2023-03-28T17:18:00+09:00
2023-05-05T11:46:49+09:00
2023-03-29T21:56:26+09:00
odysseyofiska
未分類
3月の初めに京都のKさんから展覧会の知らせが届いた。
関西を中心に活動するテキスタイルグループ「オリリズム」が3月半ばに東京の桑沢デザイン研究所で展覧会をやるという。
Kさんも来るのだろうかと思いながら、観に行きますと連絡すると、Kさんも初日のギャラリートークに間に合うよう行くと返事が来た。かくして、私たちは18年ぶりに会うことになった。
blog(https://odysseyi.exblog.jp/241458147/)でも書いたが、Kさんとお会いするのはこれが2度目である。初めて会った時も、作品を借りる交渉をしただけで、話らしい話はしていない。お互い風貌も変わっただろうし、わかるだろうかと思いながら、当日会場に行ったが杞憂だった。一目でわかり、軽く挨拶して、(ギャラリートークまでは時間があったので、)近くにある Body & Soul でランチすることにした。ところがその日はライブで、ランチは無いという。しょうがないので、パルコの地下でドイツビールと軽い食事をしながら話をした。
Kさんは京都の老舗テキスタイルギャラリーをその設立メンバーから受け継ぎ、長い間運営してきたので、さぞかし筋金入りのテキスタイル愛好家だと思っていた。だが、実際お会いして話を聞いてみると、とても肩の力が抜けて、飄々としている。テキスタイルとの出会いも、ファッションが好きで、作るのも好きだったので、大学に入り直して学んだが、設立メンバーでもある先生から声を掛けられ、そのまま引き継いだのだという。言葉にすれば簡単だが、お金儲けとは対極にあるテキスタイルアートの作家達に発表の機会を提供し、活動の援護射撃をし続けるのは大変だったに違いない。
ギャラリーのあった建物は四条河原町にある由緒正しい建物だが、その資料やアーカイブを散逸することなく移転した新事務所の入る建物も逓信省の由緒正しい建物らしい。こういうセンスも素晴らしい。
ギャラリートークの時間が来たので会場に戻り、作家達の話を聴いた。
最後に司会者から指名されてKさんが恥ずかしそうに話をした。
裏方さんの仕事を続けながらみんなから慕われるカッコイイ人だ。
同じ頃、萩のCさんから、今度東京で椅子展をやるという知らせを貰った。
Cさんとはまだ一度も会ったことがない。なのにどこか旧くからの友人のような気がずっとしている。
Cさんと知り合う切っ掛けは2年ほど前に行われた「萩暮らし案内所」のプロポーザルで、藩校明倫館跡地に建つ旧明倫小学校の一室を、移住・定住・関係人口の創出、拡大を図るための施設に変えるという内容だった。この由緒正しい建物をそれに相応しい空間デザインに変えてワークショップしながらつくるため、私は萩市内にある畳屋や染物屋、家具・木工所を調べ、コンタクトを取った。
Cさんのウェブサイトは独特だった。簡単に言えば、やんちゃだった。
(後で知ったが、Cさんも私のサイトはやんちゃだと思ったらしい。どこか相通じるものがあるのだろう)
結果的に私の事務所の案は2位で、Cさんとはそれきりになるはずだった。
だが、知らせをもらい、会いたくなった。猿楽橋沿いのギャラリーに行った。
このギャラリーは元々アパレルの会社の一室だったのを転用して使っていて、内装や室礼に風情がある。
入ってすぐのソファにCさんがいた。挨拶をして、話を始めたらすぐに打ち解け、2年前の話やいろんな話で盛り上がった。
Cさんは、元から家業の木工所を受け継ぐ気はなく、都会で暮らしていたが、台風で工場の屋根が飛んだのを機に実家に戻り、埃をかぶった製材機や古い道具を見るうちに、壊れた家具を解体しては独学で学び、やがて自分で作り始めたらしい。
モチーフは好きだった映画、スターウォーズやターミネーター、バットマンから来てるのが多いと、子どものように人懐っこく笑いながら言う。そしてそれをそのまま体現しているかのような家具が並ぶ。
最後の方に、手作りの創作ノートが何冊か置いてあった。見ると、ピュアで朴訥なCさんそのままだ。
今度こそは一緒に仕事がしたいなと思った。
お互い再会を期し、雨の中、帰った。
かずま
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「祈り・藤原新也」展を観る
http://odysseyi.exblog.jp/241716176/
2023-01-31T17:10:00+09:00
2023-03-29T21:05:38+09:00
2023-01-31T17:10:07+09:00
odysseyofiska
未分類
世田谷美術館で「祈り・藤原新也」展を観た。
藤原新也は写真家であると共に、旅人、作家、批評家でもあり、私や私たちの世代に影響を与えた人間の一人だ。その彼が70代後半を迎えて、その集大成とも呼べる展覧会を、生まれた北九州、そして東京で行った。
藤原新也の写真を初めて見たのは、彼を有名にした処女作のアサヒグラフの「インド放浪」(’72)ではなく、それから6年後にパルコから出版された「七彩夢幻」(’78 アートディレクターは石岡瑛子)だ。この北インドとモロッコの幻想的で強烈な色彩の女性と衣服の万華鏡に私の心は奪われた。
次に藤原新也の名を知ったのはエッセイ集「東京漂流」(’83)で、この本で初めて彼の文章に触れ、藤原新也は文明や社会に対し鋭い直感力のある批評家なのだと知った。
そして、写真にキャッチフレーズのような短文を添えた「メメント・モリ」(’83)で、彼の写真+文による表現者としての資質は花開いた。
展覧会でもそれは十分に堪能できる。
私は当初、この展覧会のタイトルに「祈り」という言葉が添えられることに違和感を覚えた。
藤原新也のように、放浪の旅や激変する社会の中から独自の思想や言葉を紡いできた人間が、「祈り」という誰もが使う従順な言葉で自己の仕事を総括することへの違和感だが、会場のはじめの方に次のような言葉があった。
「・・・・・・・・・
わたしが世界放浪の旅に出た今から半世紀前
世界はまだのどかだった。
自然と共生した人間生活の息吹が残っていた。
幸いにもわたしはそんな日々を旅することができた。
そして一心に写真を撮り、言葉を発した。
ときには死の危険を冒してさえ
その世界に分け入ったのは、
ひょっとすると目の前の世界が
やがて失われるのではないかという
危機感と予感があったからかもしれない。
その意味において
わたしにとって目の前の世界を写真に撮り
言葉に表すことは
”祈り”に近いものではなかったかと思う。」
この言葉は、混迷する今の時代から振り返ると予見的であり、腑に落ちた。
新しい発見があったわけではない。
だが、昔の自分を思い返しながら、充実した時を過ごした。
かずま
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せ か い が ど ん な に く ら く な っ て も き ぼ う の ひ か り を わ す れ た く な い
http://odysseyi.exblog.jp/241674017/
2022-12-09T18:27:00+09:00
2023-01-31T16:52:34+09:00
2022-12-09T18:27:09+09:00
odysseyofiska
未分類
今年は人間の愚かな行為を多く見た。
とりわけ愚かだったのは、大国が自国の利益のために隣国を襲った行為だ。
しかもその隣国はかつては兄弟だった国で、共に未来に向かって歩んでいた国だ。
自分のことばかり考えると周りが見えなくなる。そして自分自身も見えなくなる。
善悪の判断の基準は全て自分で、自分の立ち位置からしか物事を見なくなり、
都合の悪い事は嘘と言い包め、都合の良い嘘は真実に塗り替えられる。
心が失われていく。心の基盤であった愛も失われていく。
世界がどんどん力と物と金の世に変わっていき、それを基準に全てが語られる。
文明の進化や繁栄とは逆に、心と愛はどんどん貧しくなっていく。
世界は滅亡するかもしれない。愚かな者達のために。
だが、ここに一縷の望みがある。パンドラの箱の底に残ったエルピスのように。
私は教育の場で時を共にしたので、これからの未来を託す若者達を信頼している。
世界がどんなに暗くなっても、希望の光を忘れたくない
かずま
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途中下車、京都
http://odysseyi.exblog.jp/241651543/
2022-11-11T14:34:00+09:00
2022-12-09T17:24:18+09:00
2022-11-12T18:45:16+09:00
odysseyofiska
未分類
日、月と大阪に用があり、出かけた。
途中下車して、京都で降りた。「GALLERY GALLERY」が12月末に閉館するので、その前に一度見ておきたかったのだ。
早朝の新幹線で出かけたので、9時前に京都に着いた。ギャラリーが開くまでには3時間くらいある。ふとJazzが聴きたくなった。
Jazz喫茶をスマホで検索すると何件かヒットした。さすがに私が昔行った「しぁんくれーる」「フレンチクォーターラブ」「Big Boy」「Bluenote」はない。
日曜日の、しかも朝9時から開いてるJazzの聴ける店なんて無いだろうと思っていたが、なんと1軒あった。電話をかけると「やってます」と言う。
場所は北大路通沿いの大徳寺のそばだ。久しぶりの京都なので北大路駅からゆっくり歩くと、大徳寺を過ぎた辺りにその店「Cafe Zino」が見えてきた。
階段を7、8段上ってドアを開けると、窓側に4人席のテーブルが2つあり、先客の女性がいた。私は普段は窓側が好きなのだが、マスターと話がしたかったので、誰もいないカウンター席にした。
クラシックが掛かっていた。確かに店の入口には「軽音楽と炭焼珈琲」と書かれていたし、店の雰囲気もそんな感じだ。初老のマスターに挨拶し、スマホでJazz喫茶を検索したらこの店が出てきたと伝えると、「ウチはJazz喫茶ということになってるらしいですね」と小さく笑いながら言う。
壁側にはLPやSPレコードが3000枚くらいある。聞くと、そのうちの1000枚くらいはJazzだと言う。ジャンルは?と聞くと、1920年代くらいからの古いのが多いですね、と言う。(私の持ってるレコードで一番古いのはサッチモの「1928」で、それ以降は30年代がチョロ、40年代がチョロチョロで、50年代以降がほとんどだ。)じゃ、ビックス・バイダーベックなんかも?と聞くと、ええ、ありますよ、と言う。でも、Jazzを聴く切っ掛けは、やはりモダンジャズからだと言い、(丁度、掛かっていたクラシックの片面が終わったので、)マイルス・デイヴィスの「Cookin'」のA面「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を掛けてくれる。
私がJazzを聴く切っ掛けになったのは、1973年にソニー・ロリンズが日本に来てNHKで演ったライブを偶然聴いたからで、その時はそれがJazzだと知らなかったと言うと、サキコロを出してきて掛けてくれる。しかもLPは2枚あって、アメリカ版はジャケットがロリンズの白黒写真で、この方が音がいいと言う。
チンさんと剛さんの話をすると、剛さんの名作「Misty」を出してきて、これまた掛けてくれる。そして、この盤は実は4枚あり、全て持っていて、最初のと後のでは音の造り方が違うと言う・・・
いやはや、なんのなんの、筋金入りのJazzマスターだ。
出してくれた炭焼珈琲もコーヒーゼリーも美味しく、話の合間も身体の悪い常連さんへの気遣いやサポートも素晴らしく、久しぶりに心から癒された。
本当はもっと居たかったが、ギャラリーの開く時間が近づいてきたのでお暇した。
京都に来たら、これからは必ず寄りそうだ。
四条河原町は祇園や八坂神社、錦市場が付近にある、京都らしい繁華街の一つだ。
その交差点から見える寿ビルディングの5階に「GALLERY GALLERY」はあった。
(この建物は登録有形文化財に指定されていて、1階にはその展示もあった。)
奥にエレベータもあるが、5階なので、できた当時を思いながら歩いて上がった。
階段を上りきった所にドアが招き入れるように開かれていた。
中では、ばんばまさえさんのテキスタイル展が開かれている。
ギャラリーのオーナーのKさんが不在なのは事前のメイルで知っていたが、主不在のギャラリー内をまるで居るかのように会話しながら歩いてまわった。
窓からの白い自然光がやわらかく降り注ぎ、室内の古い壁や床や天井も白く塗られ、まるでニューヨークのソーホーのギャラリーのようだ。
展示スペースは十畳程で小さいのに、ミクロコスモスな茶室のように感じられる。
ガラス越しに外から中が見えるのも、なかなかチャーミングだ。
忘れられない空間の一つになった。
他の部屋の本屋や洋服屋、ギャラリーも面白かった。
気がついたら1時間半もこの建物にいる。
後ろ髪を引かれる思いで、京都河原町から大阪梅田に向かった。
かずま
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俊ちゃん読本
http://odysseyi.exblog.jp/241589470/
2022-09-24T17:21:00+09:00
2022-11-12T14:40:47+09:00
2022-09-24T17:21:16+09:00
odysseyofiska
未分類
中学時代の恩師T先生が亡くなり、追悼文集を作る話がメイルで送られて来た。
T先生は国語の教師で、愛嬌のある少し小太りな容姿と、心の機微に触れる授業は生徒からも人気が高く、名前が俊三なので「俊ちゃん」と呼ばれ慕われていた。
私は外部から来たので、入学当初は何もかもが新鮮で、かつ不安だったが、俊ちゃんはいつも温かく、冗談を言いながらよくかわいがってくれた。
二つ返事でOKした。
書きながら当時のことが蘇ってきた・・・
* * *
附中に入学して最初に驚いたのは、数学の教科書がガリ版刷りのわら半紙で、集合や論理など、それまで一度も聞いたことのない内容が書かれていたことだ。それは数年後に採用される教科書を先取りした授業で、我々はモルモット(でもある)ということを初めて知った。(じゃ、そのコマッちゃんの授業は面白くなかったのかというと全く逆で、とても面クロかった。初めて知ることは何でも楽しい。)
それと同じくらいユニークな教科書は3年の時に俊ちゃんから配られた、文芸評論や小説の一節、詩、手紙、日記、新聞記事など、日頃から俊ちゃんが気になってる文章や題材をランダムにまとめた本で、これはきちんと製本され、(記憶が正しければ)濃い緑色の紙で巻かれていた。そして授業で俊ちゃんはそれらを縦横無尽に読み解きながら、楽しそうにみんなに解説してくれた。(普段は誰かを指名し読ませたが、好きな詩や文章になると自分で音読して、細かなニュアンスまで熱っぽく語った。)
私はそれまで漠然と(読書が好きだ)くらいに思っていたが、初めて(日本語が好きだ)、特に(日本語の言葉の響きは好きだ)という風に目覚めていった。
「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」「ホラホラ、これが僕の骨」「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。」など中也の詩が多く出てきて、おかげで中也の詩集を買い、その言葉の響きと音楽のような感覚に酔いしれた。そしてその延長上にあるランボーの詩も好きになった。
詩だけでなく普段の文章も、書きながら何度も読むことで日頃から自分のしゃべる言葉により近づき、息継ぎのブレスの大切さやリズム感の大切さも感じるようになった。
こうした身体で言葉を感じるようになる切っ掛けは、俊ちゃん読本とその熱意溢れる授業にあったと今改めて感じる。
後年、私はある大学で19年間非常勤で建築の設計を教えたが、4年生のテキストで「発想法のトレーニング」と称して自分の好きな建築や建築家の作品を20程選んで、その写真や図面を編集したコピーを配り、「さあ、この建物のどこが面白いのか、説明してごらん?」という授業を学生に行った。ともすれば固くなりがちな頭を柔らかくして柔軟な発想を身につけてもらいたいと思ったのだが、その授業の源は俊ちゃん読本から来ていることにこれを書きながら気づいた。(今回の追悼文の制作過程で、俊ちゃん読本は正しくは「読み取りの力」と言うのだとツーちゃん(辻信作)から教えてもらった。)
良き師、良き思い出に深く感謝する。
かずま
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美郷町(その2)
http://odysseyi.exblog.jp/241551116/
2022-08-09T19:56:00+09:00
2022-09-24T17:53:33+09:00
2022-08-09T19:56:52+09:00
odysseyofiska
未分類
8月の初め、秋田の美郷町に行った。美郷町に行くのはこれで5回目だ。
以前、blogにも書いたが(https://odysseyi.exblog.jp/241259853/) 、美郷町に行くのは遊びではなく、昨年度行った2つの施設の改修の基本構想・基本設計に引き続き、実施設計を行うためだ。だが、私にはそれは単なる仕事と言うより、懐かしい大好きな人達に会いに行く旅、とでも呼んだ方がよいような楽しい旅で、盛岡を過ぎ、田沢湖、角館、(Mさん、D君と待合せの)大曲が近づいてくると、少し心が浮き浮きしてくる。そして、D君の運転する車に乗って、昨日の雨は凄かったですよ、ヘェ〜、東京は暑かったよ、などと近況を話してるうちに名水市場湧太郎に着く。
今回の目的は、2ヶ月前に来た時の調査をさらに徹底して行い、実施図面に反映するためで、最初に倉庫内の物品チェックを行い、いらないものは整理して、いるものはどこに置くかを具体的に決めて行った。こうすることで、スペースの無駄がなくなり、使い勝手もよくなる。
建築家が何でそんなことまでするの?と言われそうだが、結局そこまで踏み込まないと、本当にいいものにはならない。おかげで、少し汗だくになった。
昼になったので、前回、時間切れで行けなかった「ゴマシオキッチン」に行く。
ここはテーブルが4つしかないので、埋まってたらアウチだが、運よく空いてた。
(美味しいよモロッコは、とメニューに書かれてあったので)モロッコゴハンと、 (名古屋の名店「喫茶Jaaja」の名物ドリンク、とメニューにあったので)ピニャコラーダを頼む。最初にドリンクが来たので、その下のコースターをしげしげと眺める。
あんまりガンバると死ぬよー ダメに生きよう
まるで私の心を見透かし、(ひょうきんな振りをして語る)友人の言葉のようだ。
MさんやD君のコースターの絵と言葉はもちろん違う。少しエッチで、どこか温かい。もし、これが毎回馴染み客の顔を見て、ドリンクを出す前に描かれていたら、天才だ。出てきたゴハンもドリンクもどこか懐かしい味がする。
だから、ここに来るとついつい長居をしたくなる。
午後は再び湧太郎に戻り、仕分けの残りと、観光案内休憩所に移す湧水の展示物や展示の仕方について、担当のKさんやFさん、施設運営担当者達と一つ一つ現物を見ながら話し合う。
夕刻になったので湯とぴあ雁の里温泉で一風呂浴びて、横手のホテルに向かう。
今回、美郷町ではなく横手に泊まるのは、竿灯まつりとぶつかって、どこも一杯で取れなかったからだ。
恐るべし、秋田竿灯まつり!!!!!
次の日は朝食を早く食べて「やぶ前」に行き、グラフィックデザイナーのSさんと落ち合う。前回のblogでも書いたが、Sさんは単なるグラフィックデザイナーの枠を超えて、時代の空気や新しい価値観を先取りするセンスがあり、美郷町を相対化して眺める視点も持っている。
Sさんを心強いサポーターにして、名水市場湧太郎と観光案内休憩所の使われ方や企画、展示、家具、造作などについて話し合う会議に出る。
実は、私がこの会議を要請した。というか、ここでの空気感やゆったりした時間の流れを大切にして、それを皆のコンセンサスとし、設計につなげていかないと、ありきたりでどこにでもあるような公共建築になってしまうような気がして、怖かったからだ。
最初に「忌憚のないご意見をお聞きしたいので、ざっくばらんに話してほしい」と言ったが、その通りに、「無目的ホール」や「無目的スペース」「公園」「無駄」「余白」などの共通イメージが皆の口から出てきた。誰かの一存でデザインを決めるのではなく、こういうイメージを皆で共有することはとても大切なことだ。
おかげで皆と考えている方向が一致したので、私は少し心が安心した。
午後は構造、設備と、2つの現場で具体的に建物や空間を見ながら話合いをした。
なんとなく、設計のゴールが霧の中から見え始めてきた。
珍しく、夕方5時前に全ての予定が完了した。
そのまま、MさんとD君に大曲まで送ってもらい、
予定していた新幹線を1本前倒しして帰京した。
美郷町は水に恵まれた町だが、
それ以上に人と空気に恵まれた素敵な町だと思う。
奄美やマジュロ島と同じくらい好きだ。
かずま
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一つの記憶
http://odysseyi.exblog.jp/241458147/
2022-05-20T21:25:00+09:00
2022-08-09T18:50:40+09:00
2022-05-20T21:25:42+09:00
odysseyofiska
未分類
(C)GALLERY GALLERY
京都の四条河原町にあるテキスタイル専門のギャラリー「GALLERY GALLERY」が今年の12月をもって閉鎖し、40年分の資料やアーカイブを散逸させることなく、新事務所へ移転することになった。それを支援するクラウドファンディングが5月末まで行われている。
https://motion-gallery.net/projects/gallerygallery-office?fbclid=IwAR1FNLgYA5nGIIvIPCzRPQNbWVDxfLRet_dC0tZzo9VuTSnte1A2eXjtA2o
実はこのギャラリーを運営するKさんとは、17年前に新宿OZONEの「英国クラフト展」の展示構成をした際に一度しかお会いしていない。だが、その後毎回、京都から展覧会の案内を送っていただき、テキスタイルの概念を拡張するそのユニークな活動に目を見張ると共に、深い尊敬の念を抱いてきた。
賀状のカードのやり取りや、ギャラリーの活動内容の本を読む度に、その念は深まっていった。
Kさんと出会うきっかけとなった「英国クラフト展」の展示構成は、当時、青山で画廊を経営していた友人のAさんから、「今度、OZONEでイギリスの現代工芸作家の展覧会があるんだけど、その作品の交渉や展示構成をやってみない?」と声をかけられ始まった。(ギャラはほとんどなかったが、親友のフィオナも参加するらしいし、面白そうなのでやることにした。)
作品の貸出し交渉はAさんも同行してくれ、目白の「三春堂」や世田谷の「ギャラリー・セントアイブス」など、イギリスの現代工芸作品を所有するギャラリーに行って作品を数多く見せてもらった。見るとどれもが面白く、話に夢中になって、時を忘れた。
Kさんと会ったのはその最後の頃で、確か何かのパーティーで、Kさんが京都に戻る直前だったと思う。持っていたイギリスの作家の作品(金属の紐で編まれた手の形をしたオブジェで、多分、木彫の手型に紐を巻いて燃やし、外形だけを残したのだと思う)を見て、思わずいいな〜と叫んで「貸してください」と言ったら「いいですよ」と言われ、借りることになった。
この展示構成で考えていたことは3つある。
1つめは、作品の横に作家や作品名のわかるプレートを置かない、ということだ。
よく美術館や展覧会に行くと、最初に作家名や作品名を見てから鑑賞する人がいるが、これでは先入観が入り、純粋な鑑賞の妨げになる。
ピカソだからいい絵なのではない。いい絵だなと思って、調べたら、描いたのはピカソで、タイトルは「ゲルニカ」だった、という風にしたかった。だから、一通り見終わった後に謎解きの大きな図解を設けた。(希望者には入口で最初に図解のコピーもあげた。)
2つめは、平面や立体の作品を壁やテーブルに規則正しく並べるのではなく、一つながりのランドスケープ(大きな島や風景)のようにし、会場に入ったら直ぐに自分の好きな場所がわかり、そこから観ていって自然にぐるっと回れるようにした。
3つめは、今回の展示のためにつくるテーブルは解体・移動・ストックができ、何度でも使用できるようにした。
OZONEではこれまでも多くの展覧会やエコロジーの催しなどが行われてきたが、倉庫が無いので毎回つくった什器は廃棄していると聞き、びっくりした。
英国大使館が協賛なので、中央のユニオンジャックテーブルは終了後に大使館に寄付し、その後何度も使用してもらった。(制作費は60万くらいしかなかったので、材料に無駄が出ないよう、3x6のアクリル板をモジュールに設計し、補強の木材もミカン箱程度の物を使用した。設営ももちろん自分達で行なった。)
当時のことを思い出すと、ほとんど毎日、ほぼ無報酬で、よくやったなぁと感心する。(ただ、事務所のスタッフのYさんからは大目玉を食らった。)
そして、この時、たった一度の出会いに過ぎなかった点が、その後続いて線となり、今Kさんを支援する面となっていくのを見ると、感慨深いものがある。
12月までには京都に遊びに行きたい。
かずま
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一人一人のささやかな営みが連鎖し、世界を動かしていく
http://odysseyi.exblog.jp/241437879/
2022-04-30T16:47:00+09:00
2022-05-20T19:30:28+09:00
2022-04-30T16:47:50+09:00
odysseyofiska
未分類
(C)ZDF
「映像の世紀」というドキュメンタリー番組が昔毎月1回NHKで放送されていた。
世界30か国以上のアーカイブフィルムから編集した映像と証言による20世紀の歴史を辿るもので、私はこれがとても好きだった。リアルに生々しく自分たちの生きている20世紀を感じた。
その後、続編として「新・映像の世紀」や「映像の世紀プレミアム」が放送され、これもとても興味深く見た。今月の初めからは、さらに個々の人々に焦点を当てた新シリーズが始まった。1回目はモハメッド・アリ、2回目はアインシュタイン、3回目はドイツのメルケルだった。特に3回目は初めて知ることが多く、とてもよかった。
アンゲラ・メルケルは1954年、当時の西ドイツ(ハンブルグ)で生まれた。直後に聖職者であった父と共に東ドイツに渡り、そこで育ち、やがて優秀な物理学者になる。当時は地味であまり目立たない存在だったらしい。
それに比べ、同じ東ドイツの1歳年下のニナ・ハーゲンは若い頃から自由奔放で、19歳の時に歌った「カラーフィルムを忘れたのね」は東ドイツ国民の約半分が歌えるほどヒットした。当局から言動に目をつけられ、監視されるようになったニナはやがて西側に亡命し、パンクの女王となる。
カトリン・ハッテンハウワーは画家志望の学生で、1989年仲間と共に月曜デモに参加し、体制批判の横断幕を広げてシュタージ(秘密警察)に捕まる。だが、それを契機に東ドイツ国民の鬱憤が爆発して膨大なデモとなり、やがて政府報道官の一つの失言が元でベルリンの壁は崩壊する。東西ドイツが統一し、一つになると、政治に目覚めたメルケルは政治家に転身する。
ここで、面白いフィルムが流れる。当時、まだ首相になる前のメルケルとニナがTV
で対話するシーンだが、話はまるで噛み合わず、ニナは激怒して、対話を続けようとするメルケルをこき下ろし、その場を去る。やがて政治家として台頭したメルケルは首相になり、長期安定政権をつくり、ドイツの「お母さん」と呼ばれるようになる。だが、100万人以上の難民を受け入れた政策が国民の不評を買い、政治的危機を迎える。この時、画家となっていたカトリンはメルケルを強く支持する。
その後も難局が続き、メルケルは昨年12月、16年間続けた首相を去るだけでなく政界をも引退する。退任式で自らを送る曲として「青春のハイライトだった」と言って選んだのは、あの「カラーフィルムを忘れたのね」だった。
見終わった後、メルケルがとてもチャーミングに思えた。ニナもきっと心の中で和解し、祝福したことだろう。三人のささやかな行為が、やがて大きな渦となり、世界史の一つをつくっていく過程がとても身近に感じられた。
実は私は、1989年のベルリンの壁の崩壊の様子をロンドンでTVで生で見ている。
カメラマンのリチャード・ブライアントの自宅の居間でそれを見た時、初めは意味がわからずただ唖然としていたが、やがて世界が大きく変わっていくのを直感した。
そして今、TVでは毎日、ロシアのウクライナ侵攻の様子が流れている。
これは過去のドキュメンタリー番組ではなく、現在進行形で行われている、現実の戦争なのだ。 その痛ましい状況は、市民が発する日常のSNSからもよくわかる。
この馬鹿げた戦争を早く終わらせ、これを最後にする取り組みを真剣に行わない限り、愚かな私たち人間は今後も同じ過ちを犯し、やがて世界は滅びるだろう。
そういう歴史の岐路に今私たちは立たされている。
ひとごとでは済まない。
かずま
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本当によいものはやさしく、何の技巧もいらない
http://odysseyi.exblog.jp/241320130/
2021-12-30T16:20:00+09:00
2022-04-30T15:32:58+09:00
2021-12-30T16:20:50+09:00
odysseyofiska
未分類
隠岐でおもしろいコンペがあったので、秋のある晴れた日、隠岐の島に行った。
港でボーッと海を眺めていたら、高校生の頃、「老人と海」の一節を英語で初めて読んだ時のことを思い出した。
英語嫌いで少しも勉強しなかったのに、それは私の心にスーッと入ってきた。
本当によいものはやさしく、何の技巧もいらないのだとその時初めて知った。
隠岐はユネスコの世界ジオパークに選ばれているので、その展示館を見たり、北前船の風待ち港の歴史を持つ町中を歩いたりしたが、海の景色や海からの景色以上には魅かれなかった。「海」を主題にすることにした・・・
今年は人生の中で一番深い谷底を味わった。
26年間一人で行ってきた両親の介護が思ってもみなかった酷い結末を迎え、私は谷底で死をずっと考えた。
深い闇のような時間を過ごした。
だが、友人達と建築が私を救ってくれた。
私は少しずつ回復していった・・・
コンペは、案は良かったが、プレゼンを失敗した。
「海」を主題にしたことが十分には伝わらなかった。
主催者から、意見交換会の様子をライブ配信してるので見てくれ、と連絡を受け、見たが、惜しくも2次には進めなかった。
だが、島で出会った人は皆いい人ばかりだった。
食べ物もお酒も美味しかった。
奄美やマジュロと同じくらい好きになった。
いつか、また、行きたい。
かずま
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美郷町
http://odysseyi.exblog.jp/241259853/
2021-11-02T20:35:00+09:00
2021-12-30T16:20:08+09:00
2021-11-02T20:35:08+09:00
odysseyofiska
未分類
秋田の美郷町で小さなプロポがあった。
秋田には教え子で元スタッフのMさんがいる。Mさんは伊香保の石段街修景計画の時に突然目覚めて、地元の秋田のために力になりたいと言って戻り、パートナーのD君(彼も教え子)と二人で設計事務所をしながら町のコミュニティづくりに積極的に参加している。
私はMさんと久しぶりに仕事がしたいなと思い、電話をかけた。
断られたらやらないつもりだったが、二つ返事でOKしたので、10月のある晴れた日に大曲で落ち合い、3人で現調した。
美郷町は大仙市(大曲)と横手市に挟まれた小さな町だが、町内に126カ所の湧水が湧き出る名水の里で、特に中心市街地にある六郷湧水群は名水百選にも選ばれ、観光客で賑わっていたが、このコロナでパッタリ止まり、その中心施設と観光案内休憩所を改修して集客力の向上とまちなかの活性化を図る必要があった。(今回のプロポは、その基本構想と基本設計)
最初に町役場に寄って中心施設の図面を見せてもらい、次にそこに行って食事をしながらゆっくり館内を見学した。コロナの緊急事態宣言・まん延防止等重点措置解除後だったが、平日のせいもあり、利用客は少ない。
建物の設計はとても上手なのに、その整備は観光客に向けてが主で、町の人に向けての整備ではないため、町民の利活用の少ないことが影響している。
次に観光案内休憩所に行った。その途中にいくつかの湧水があり、特に御台所清水はスケール感がとてもいい。(現調でなかったら、そのままベンチでボーッとしていただろう。)
観光案内休憩所は元民家を改装したらしく、小さかったが、入口付近に湧水の給水所があり、地元の人がポリタンクやペットボトルで湧水を汲みに来ていた。ここで地元の人も休憩してもらえば、観光客との交流ができる。
その後、Mさん達の知り合いのSさんのデザイン事務所に行き、話を聞いた。
Sさんは東京の広告代理店に勤めていたが、地元の美郷町に戻り事務所を開いて、まちづくりや異業種間交流に積極的に参加している人だ。事務所も少し変わっていて、細長い通路を曲がると大きなワンルームの気持ちの良い空間が現れ、Sさんの好きな小さなものがおもちゃ箱のように、だがきちんと整理されて置かれている。本当はその一つ一つを手に取りながらいろんな話を聞きたかったが、(その日はSさんもワクチン注射を夕方打つ予定があったので、)美郷町の中心市街地の様子や使われ方について率直に話を聞いた。Sさんは次から次に興味深い面白い話をしてくれ、それは止まることがなかった。
外が暗くなったので、今回、地元サポーターとして参加してほしい旨を告げると、快諾してくれ、他の仲間の人も紹介してくれた。
Sさんとのヒアリングに熱が入り過ぎ、ニテコ名水庵に着いたのは夜だった。道の駅美郷もギリギリ間に合い、どうにか見れた。その後、大曲で3人で夕食をしながら打合せ、東京に戻った。まさか地震で途中で電車が止まり、自宅に帰れず事務所に泊まる羽目になるとは、その時は思ってもいなかった・・・
10月の終わりにプロポのプレゼンがあった。
私たちのスタートは遅い時間だったが、前回の現調同様始発で行き、(前回見れなかった)ラベンダー園や六郷温泉あったか山、名水庵を見て、仁手古神社でお参りし、ニテコサイダーを買って、たぬ中を食べ、Sさんから聞いた「やぶ前」のWさんに会いに行った。アポなしだったが偶然いらして、店内は改装中だったが、楽しい話が聞けた。
Wさんはロンドンでデザイナーとして活躍していたが、お母様の実家のある美郷町に戻り、元米屋を改装して、皆が集まるクリエイティブなゲストハウス・コミュニティスペースを作ろうとしているのだ。
「やぶ前」の名前の由来も、古くからある皆でよく行く蕎麦屋「やぶ茂」の前にあるから、というのもなかなかいい。
時間が来たのでお暇し、町役場に行って、広場で少し練習して本番に臨んだ。
私たちの提案は、2つの施設を町民も普段から利用して観光客と積極的に交流できる「まちなか交流施設」にする、というものだが、多分理解されたと思う。
終わった後、やはりSさんから教わった「ゴマシオキッチン」に寄った。
ここは夫婦二人でやってる喫茶店で、入口の雰囲気も、中の雰囲気も、一見普通だが力が抜けてて洗練されてて面白い。まるで映画の中のある懐かしいシーンを見ているようだ。
メニューを見ると、ホットチョコレートがある。
「バッファロー'66」の中でヒロインが好きで飲んでたシーンを思い出す。
頼んだら、顔のラテアート付きで面白かったが、コースターがメッセージ付きの手作りで、それ以上に面白かった。こんなイカした喫茶店がこんな所にあるなんて‼︎
3人で小一時間ほど話し込んだ。店が5時に終わるのでお暇しようとしたら、レジで夫婦と再び楽しい会話で盛り上がり、5時を遥かに過ぎる。
店を出て大曲に急いだが、着いたのは東京行きの新幹線が出る寸前だった。
女性駅員の機転で切符を買わずにそのまま列車に飛び乗り、車内で大曲駅乗車証明チケットを見せて切符を買った。女性駅員に感謝した。
今日、美郷町から私たちが受託したとの連絡を受けた。
多くの素敵な人たちと楽しい時間を過ごせることに深く感謝したい。
かずま
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