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2009年 07月 12日
![]() 永福町のギャラリー「ファクトリーコア」でやっている、友人のAさんのグループ展『Photo Life』を観に行った。 Aさんの4枚のポートレイト(洋服代わりに可燃ゴミの袋を着ている)の横に一編の詩があった。(Aさんはこれをコメントとしか言わないが、私には詩としか思えない。) ーGarbage bagー すてたいもの ・生ゴミ(これはすてている) ・読んでしまった本(これもまあまあすてている) ・仕事の書類(先週だいぶすてた) ・展覧会のパンフレット(だいぶすてた) ・流行遅れの服(バザーにだそう) ・壊れたPC(分解中) ・同居人だった人の「貴重である」建築の本(・・・) ・脂肪(・・・) ・思い込み ・他者との比較 ・自分で規定した価値観 ・上昇志向 ・「自由」と思っている「きまぐれ」 ・「愛」と思っている「欲望」 ・没頭しないこと ・ ・ (続く) 2009.6.27 私はこの「枕草子」の一節のような詩を(特に後半を)読んでいて、「自分を捨てる」ということにいつしか思いが至った。 昔、こんなことがあった。 大学4年の時、今、早稲田で先生をしているFと、日建設計で偉くなったTと、3人で組んで共同設計をした。(皆、個性が強かったので、)提出1週間前まで3案平行線で、どうしようもない状況だった。 丁度その時七夕選挙があり、それから戻った私はどういうわけかストーンと憑き物が落ちたような透明な気持ちになり、「今回は俺は降りて二人から学ぶ」と言って自分の案を取り下げ、二人の案を組み合わせてどうにか提出は間に合った。 ところが、提出日に模型と図面を持って大学に行くと、誰もが宿泊棟部分を指差し、「この部分はみぞぶちがやったんだろ?」と言う。実際そうなのだが、(二人に従っただけだ)と内心思っていた私は狐につままれたような思いがした。 今から思えば、その部分は誰が見ても私がやったとしか思えない代物なのだが、無心に自分を捨てて二人から学ぶことに没頭していた私は、(夢中でその時間を生きていたので、)デザインする意識さえ忘れていたのだ。 で、その時思った。 自分を捨てて、捨てて、捨てて、その先に出て来たデザインがなおかつ自分のデザインだと思えるようなら、それこそが本当の自分のデザインではないかと。 こんなこともあった。 30才でヨーロッパを放浪していた頃、旅が進むに連れて自分がどんどん空気と同化し、空気中に浮かぶ塵、芥、ゴミのように感じられる瞬間を何度か体験した。 自分が大した物ではなく、取るに足らない微生物のような軽い存在に感じられ、そのうち空気中に消えてしまうように思えた。 自我がどんどん消えて行き、すべてを謙虚に自然に受け入れられる、そんな気持ちになった。そしてとても自由になった。 (日本に帰って来て日々の由無し事を繰り返しているうちに、いつしかこうした感触は消えてしまったが・・・) 「自分が大切」という、自我に固執する現代の風潮の中では、「自分を捨てる」という行為はネガティブに取られがちだが、実はとてもポジティブで、次の段階に進むためには必須の行為ではないかと思う。 創造の世界だけでなく、日常生活でも自分を自由に変えられる大切なキーだと思う。 そんなことを漠然と考えながら、ギャラリーを後にした。 蝉が鳴いていた。 かずま
by odysseyofiska
| 2009-07-12 21:45
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