
久しぶりにマニラに行った。ほぼ2年ぶりのマニラはそれほど変わってはいなかった。
マニラに行くのはいつも仕事で、今回も旧知の友人でクライアントでもあるMさんの要請で、新たに自分のオフィスビルをつくるので現場を見ていろいろアドバイスしてくれ、というので出かけた。
この話は実は以前からあって、どうせマニラのことだから(仕事の進み具合が遅いので)もう少し後でも大丈夫だろうと高を括っていたら、突然、工事中の写真がメイルで送られて来て、ギョッとしてあわてて飛んで行った。
現場の方は、日本とは精度やクオリティーがあまりに違うのでいつも軽いカルチャーショックを覚える(今回もそうだった)のだが、それと同時に、このデタラメさ加減に時々ホッとするような感じを覚える、というのも事実である。
この感覚がどこからやって来るのかは定かではない。
が、結局は、建築はダイヤモンドや精密機械のようなものではなく、アバウトで、ファジーで、伸びたり縮んだりし、多少傷がついてもそれが味になる、自然でおおらかな、人間そのものに近い、というようなことを確認させてくれるからかもしれない。
それはたぶん、私がそのようなものに以前から価値を見いだしていて、20年近く前に初めてマニラにやって来た時から、その風土とフィリピン人の人柄、風景や時間の流れの中に横たわる何かとどこかでシンクロしているからだろう。
実際、20年近く前に初めてマニラにやってきた時、私は懐かしい気持ちでいっぱいになった。子供の頃の、まだ貧しかった、だけど希望と青空だけは広がっていた日本を見ているような、そんな既視感を覚え、タイムスリップしたような感触に襲われた。
それは今でも行くと時々感じるもので、それがこの国のために何かいいことをしたいという私の原動力とどこかでつながっている。
別に私は貧しさへの哀れみや、自分たちがかつて置かれた境遇へのノスタルジーに浸って言っているのではない。もっと原初的な部分で強く惹かれているのだ。(この点は、私が大学時代に吉阪研でバラックの研究に没頭していた頃から少しも変わっていない。)
たぶん、私は何かが生成する瞬間の現場に立ち会うのが好きな人間で、それが洗練され、評価されていく過程にはあまり興味がなく、ましてや完成され、益を得る頃にはまったく興味を失っている類いの人種なのだろう。
だから私はマニラに強く惹かれ、マニラを深く愛している。

Mさんのオフィスの現場は思っていた以上に進んでいて、そのまま進んでいたらエライ目に遭うだろうという点がいくつもあったが、すんでの所で回避でき、それに加え新しい提案もいくつかできたので、私が行った価値は少しはあっただろう。
いい仕事をした満足感に浸りながら夕暮れ時にドライブしてもらった。
マニラの夕暮れはいつも美しい。
いつかマニラ湾に沈む夕日をボーッと見ながら、ゆっくり酒でも飲みたい。
かずま