一月程前、中学の同期の仲間達と旅をした。
その時、久しぶりに会った読書家のMさんに、何か面白い本ある?と聞いた。
最近、仕事の本やハウツー本に偏り、めっきり小説や文学作品に触れてないので、少し干からびた心に水をやろうと思ったのだ。
Mさんは直ぐに、最近読んだ町田康の小説に頭を殴られたようにまだ呆けている、最後の方がドストエフスキーの「白痴」の最後のように、青空がすぽんと抜けてるような透明感、しかも無音の世界だった、と語った。
その時は食事中で、小説の題名を聞きそびれたので、後でメイルで聞いたら、「告白」だった。図書館にあったので、借りて読み始めた。
実はこの小説は読売新聞の連載中に少し読み、途中でやめてしまった小説だ。
当時、交通事故で左脳をやられた父を看ていたので、頭を殴るシーンや殺人などが出てくると気分的に読めなくなり、これはまさにそれだった。
だが、Mさんの言う「青空がすぽんと抜けてるような透明感」や「無音の世界」がどんなものか知りたくて、今回読み始めた。676ページもある大部の小説、しかも河内弁の会話や地名、難しい漢字も多く、途中までは難儀したが、後半は慣れ、なんとか読み終えた。
題材は河内音頭の「河内十人斬り」でも取り上げられている、明治26年に実際にあった話で、それを町田康は戯作調に活写し、主人公の気持ちや思考の流れをドストエフスキーのように代弁していく。
読んでみてわかったのは、私が読むのをやめた最初の殺人(らしき出来事)が起こるのは、始まって間もなく、全体の1/10を過ぎたくらいの所で、全体の1/3は新聞連載後に新たに書き加えられた、私にとっては未知の新作と言ってもよい代物だった。
主人公は多くの思弁を繰り返したあげく、金と女と仁義で恨みつらみのある人間達を舎弟の協力を得ながら斬り殺す。そして山に逃げ込み、行方を眩ましながら取り逃がした者の殺害を目論む。だが、最終的には舎弟を銃で撃ち、自分も自害する。
その最後のシーンで、自分の人生を振り返りながら、暴力の先にある到達した何かを言葉で表そうと必死にもがく。
熊太郎はもう一度引き金に足指をかけ、本当の本当の本当のところの
自分の思いを自分の心の奥底に探った。
曠野であった。
なんらの言葉もなかった。
なんらの思いもなかった。
なにひとつ出てこなかった。
ただ涙があふれるばかりだった。
熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
銃声が谺した。
白い煙が青い空に立ちのぼってすぐに掻き消えた。
何もなかったのだ。無だったのだ。呆然とする結末だった。
(つづく)
Odyssey of Iska
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