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2019年 03月 24日
レッジョ・エミリアに詳しい森眞理先生から「おもしろいですよ」と勧められ、観に行ったのだが、東洋大学で教えていた当時お世話になった長澤悟先生が監修で、ただおもしろいだけでなく、子どもの教育施設の変遷がクロニカルにまとめられていて、大変勉強になった。 「子どものための場や空間」という概念は明治5年に「学制」が発布されるまではなかったようだ。 もちろん、それまでも寺子屋や藩校などで教育はされていたし、子どもも川や山や野原や空き地で遊んでいただろう。だが、明治に入ってからは「教育」は明らかに富国強兵のための重要な国策となり、学校も整備され、一斉教育のスタイルが確立されていった。(和洋が混ざった擬洋風建築の校舎は当時の混乱ぶりを表しているが、その装飾やディテールは今見てもなかなか面白い) こうして学校の数は増え、幼児教育でもフレーベルの恩物が教育玩具として入ってきて、子どもを取り巻く環境は一変していった。 大正になるとさらに加速し、かつ自由になる。 大正デモクラシーの影響下、子どもの興味や関心に基づいた「子ども中心」の教育実践がなされるようになり、自由学園や成城小学校(現 成城学園)、文化学院などが生まれた。「赤い鳥」「子供之友」などの児童雑誌も創刊され、「子ども」の催しや「子ども」用商品も次々と開発されていった。 また、大正12年(1923年)に発生した関東大震災で木造校舎の多くが焼失倒壊し、東京、横浜では校舎の鉄筋コンクリート化が進んだ。(私は全然知らなかったが、昭和9年(1934年)に京阪神を襲った室戸台風の被害は甚大で、多くの校舎が倒壊し、児童、職員が犠牲となったことで、都市部の校舎の鉄筋コンクリート化はさらに進んだ) 戦後はGHQの統制下、日本の民主化が行われ、教育内容もガラッと変わる。 だが一番の急務は、戦争で消滅した学校を量的に拡充することで、その作業の中心的役割を担ったのが東大の吉武研だ。実は私が8歳の誕生日を迎える頃、長崎から東京に転校し入学したのが、そのモデルスクール第1号の目黒の宮前小学校('58)だった。 この小学校のことは今でもよく覚えている。 鉄とガラスとコンクリートブロックでできた校舎で、渡り廊下で繋がれた、少しクラスター(ブドウの房状)タイプの建物が斜面の地形に2列に置かれ、上が低学年(1、2年)、下が高学年(3〜6年)で、今まで見たことのない校舎だったので、初めて見た時は少しワクワクした。(ただ、閉口したのは、いつも全国から見学者が訪れるので、毎回、授業参観のようだった) その写真と図面が会場にあり、しばらく見つめた。 (だが、数年前に愛媛の八幡浜で見た、松村正恒が設計した日土小学校('56、'58)は、似たプランでありながら、光や風の抜けがさらに素晴らしく、しかも木造で、同じ時代に、地方でも東京に負けない、素晴らしい小学校があることに深い感銘を受けた。もちろん、この展覧会でも写真や図面、模型が展示されてて、久しぶりにあの感動を思い出した) 他にも興味の尽きない小学校や幼稚園、子どものための施設がたくさんあった。 中でも、ほるぷが資金を出して青森の黒石につくった「黒石ほるぷ子ども館」('75)は、手描きの平面詳細図と断面詳細図の原図が写真と共に展示されてて、菊竹事務所らしいなと思いながら見つつ、これまで見落としていた幾つかの発見をした。 やはり手描きの原図はいい。心に訴えてくるものが違う。 こうした多くの建築家や教育者、子を思う親や人々の努力があって、 子どものための建築と空間は発展してきたのだということを強く感じた。 その末端にいる私もできる限りのことをして、 一歩でも前へ進めたい。 かずま
by odysseyofiska
| 2019-03-24 10:04
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