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2017年 07月 10日
6月末から8日間、台湾を北から南へ旅した。 切っ掛けは私の師のヨシザカの生誕100年の祝いの会で、それを台湾でみんなでやろうということになり、OBやOG、会の賛同者ら35人が日本から出かけて、宜蘭のまちや建物の見学、台北で台湾のまちづくり学会と合同の講演会などがおこなわれ、とても有意義で中身の濃い時間を過ごした。 だが、私にはもう一つの目的があった。それは台南に行くことだった。 台南は私のMが青春を過ごした街だ。 Mの父は陸軍の軍人で、当時台南に駐屯していた。Mの母は妊娠すると一旦熊本に戻り、そこでMを生むとすぐに連れて台南に戻った。だからMの記憶は台南から始まる。 子供の頃バナナばかり食べさせられて、それでバナナが嫌いになったとか、父の部下がたくさん来た日には母が近所の中国人の店から取った出前が並び、それはそれは豪勢だったとか、子供の頃のMの台南の話はどこかのどかで微笑ましく、Mもその頃は楽しい時間を謳歌したのだろう。その白眉は女学生の頃で、「台南第一高等女学校」と母校の名を呼ぶ時のMの口元にはいつもそこはかとなくプライドが感じられた。 それが暗転するのは敗戦の時である。 軍人の父の厳命で、金目の物は持たず、着の身着のまま引き揚げ船で熊本に戻ったが、多くの人はそうしなかった、と少し恨めしそうに語っていた。 おまけに父が病気になり、次女のMは一家を支えるべく、初めて働きに出ることになる。(そしてそこでFと出会う) 人生、何が幸いするかわからない。 Mにとって神様がくれた最高のご褒美だったろう。 台北でみんなと別れた後、まちを歩き、翌日、台南に向かった。 台南は台湾で最も歴史の古い街で、台北から高鐡(新幹線)で1時間半くらいで着く。(市内の台南駅には、そこから台鐡で15分程で着く) 駅前のホテルで荷解きをして少し休み、午後から街に出た。 途端に灼熱の太陽で頭がクラクラ、目がチカチカする。土産物屋で帽子とサングラスを買い、再び戦闘体制を整え、まち歩きを再開する。 私が観たいのは観光名所ではなく、Mが通った学校や住んでた場所、そして当時の匂いだ。 街を南西に下って行くと、大きなロータリーに出る。日本統治時代の台南州庁(現国立台湾文学館)や台南合同庁舎(現台南消防局中正分隊事務所)、台南測候所などが並び、今もきちんと保存され、使用されている。 台南公会堂(現呉園芸文中心)は裏に中国式の岩庭と水庭があり、それに向かって野外劇場が傾斜し、構成がとてもおもしろい。 日本勧業銀行台南支店(現台湾土地銀行)はドーリア式の円柱が並び、重々しくて好きになれないが、その先にある林百貨店(現林百貨)は昔の良さを活かしながら軽やかな現代性もあり、リノベが上手で参ってしまう。 他にもいくつか見たが、こうした日本統治時代の建物を台南の人々は決して嫌いではなく、これも台南の歴史の一部でありインフラの一部だとポジティブに考えている節がある。だからこそ、今もこうして大切に使われているのだろう。 そして今、私の感じるこの空気は、若い頃のMの感じた空気とつながっている。 台南武徳殿(現忠義小講堂)、台南孔廟、府中街を通ってさらに南下する。 延平郡王祠のすぐそばに探しているそれはあった。 「国立台南女子高級中学」とあるが、紛れもなくMの母校だ。 正門から中に入って写真を撮ろうとすると守衛の鋭い視線を感じたのでやめた。 外から数枚撮って、赤レンガの校舎をしばらく眺め、想いを巡らせた。 その後、学校の周りを歩いた。赤レンガの塀沿いにきれいな小道が続く。Mもここを歩いたのだろうか。 ぐるりと裏側まで回ると、要塞の城跡のような塀があり、台南が昔、城壁で囲まれ、ここに南門のあったことを示す碑があった。 そこからさらに南下して、海軍の官舎があった水交社公園の辺りを歩く。官舎の名残がどこかしらにあって、少し独特の匂いだ。 辺りが暗くなってきた。 さすがに歩き疲れたので少し休憩し、元来た道を戻った。 夕食をとり、ホテルに帰ってシャワーを浴び、寝た。 翌朝は永楽市場を見に行った。(私はどこの国でも市場を見るのが好きだ) 前日とは打って変わって、激しいスコールが時折降る。その度に雨宿りをするが、台湾の街並はどこも1階の道路に面した部分は4m程を公共の歩道として差し出し、その上に2階から上をつくるので、いつでも雨宿りができる。そして、その屋根のかかった歩道が時には屋台やレストラン、食事の場へと変わる。この雑多でデタラメで自由な感覚は真にアジアで、私好みだ。 そこから国華街を南下して西門浅草の辺りで不思議にセンスの良い佳佳西市場旅店というホテルを見つける。さらに南下して康楽市場で再びスコールが降ってきたので昼食にし、止んだので保安路を見てから今度は北上し、赤嵌楼(ツーカンロー)まで行く。 赤嵌楼は、近松の国性爺合戦の元となった台湾の英雄、鄭成功(母は日本人)が1662年にオランダから台湾を奪還し自治を切り開いた安平古堡(アンピン・クウパオ)と共に台南の人々にとって特別な場所だ。 観終わった後、土産物売場で「原日軍歩兵第二連隊官舎群」という本を偶然見つけた。陸軍の官舎群があったゾーンをきちんと調査し、記録に残したものだが、見るとその場所は現在の台南公園の西側に当たる。もしかしたらMはこの辺りで育ったのかもしれない。 疲れていたが、行くことにした。 ここは水交社公園以上に官舎が残っていて、一部は当時のまま、一部は直してアートギャラリーやアトリエとして使われている。 夕方で雨上がりだったせいか、ほとんど人と出会わず、ひっそりしている。まるで私一人がタイムマシンに乗って当時に戻ったかのようだ。赤レンガ塀で囲まれた区画を歩きながら、塀の向こうの廃屋から当時のMが私をじっと見ているような、そんな気がした。 シーンとした空気を感じながら30分ほど周りを探索した。 その後、台南公園の東側にある成功大学に行った。 ここは陸軍本部があった所で、今もその建物のいくつかは大学の施設として使われている。 入って正面の芝生広場に巨大なガジュマルの樹が3本植わっていた。中央の一番大きな樹は皇太子時代の昭和天皇が台南僥倖の際に植樹したものだ。植えた本人はもう亡ないが、代わりにこの樹は90年以上の歳月をずっと見続けてきた。その間に戦争があり、日本が負け、国民党が中国本土から来て本省人を弾圧し、今は民主化で平穏な時が流れている。 Mがここで育たなければ私がここに来ることはなかったろう。 だが、来てよかった。いろんな思いを感じ、いろんなことを考え、まだ見ぬ記憶が甦ったような、そんな不思議な気持ちになった。 翌日、安平に行って街を観た後、台鐡で高雄に向かった。 台南にはまた来るだろう。 再見。 かずま
by odysseyofiska
| 2017-07-10 19:11
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