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2017年 02月 27日
今、奄美で「子育て・保健・福祉」の複合施設の基本構想・基本計画をつくる手伝いをしている。 私は子どもは大好きだが、残念ながら子育ての経験はない。にも関わらず、自分だったらこういう風に子どもを育てたい、子どもと遊びたいという強い願望はある。 その多くはFから来ている。 忘れられない思い出がある。 4、5歳の頃だった。休日、長崎の中心商店街、浜町(はまのまち)を家族と歩いていて転んだ。(その当時の休日の最大の娯楽はデパートに行くことと、そこで食事をすることだった。) 普段だったら、Mが「しょうがない子ね」などと言いながら起こして、パンパンパンと汚れをはたくのだが、兄と先を行き、気がつかない。 そばにいるFも当然そうするだろうと思っていた。 だが、Fはコートのヘリが地面に着きそうになるくらい膝を折り、やさしく私を見つめるだけで、何もしようとしない。 しょうがないので、ゆっくり自分で起き上がり、パンパンパンと汚れをはたいた。 すると満面に笑みを浮かべて「えらいね〜」と言いながら頭をクシャクシャに撫でてくれた。子ども心にFが何を言おうとしているのかがわかった。 それは私が人生で受けた最初のレッスンだった。 小学生になり、東京に転校して来て、3年生の頃だった。 夕食の時、今日、学校であったことを話しながら、友達への不平不満を口にした。 てっきりFも同意してくれると思っていた。だが結果はまるで違っていた。 「じゃ、何で、かずまくんは◯◯くんの分までしようと思わなかったの?」と聞かれた。 思ってもない質問だったので面食らい 、「それは◯◯くんのすることだから」と答えたら、「人を悪く言うくらいなら自分でしなさい」と静かに言われた。 その時はちょっと理不尽だな、と思ったが、その後、Fがけして人の悪口を言わないことに気づき、なるほどと思うようになった。 また、Fは「いいわけ」が嫌いで、それをしなくて済むよう前もってやるか、やらない場合は潔くあることをいつも求めた。(だが、未だに未熟な私は、その域に達していない) 中学生の頃、Fがある時「ウチは質実剛健だから」と言った。それを聞いて思わずプッと笑い出しそうになった。 細面で、外人に似てハンサムで、やさしいFの口から、「質実剛健」などという180度反対の言葉が出てこようとは、想像もしていなかった。 だが、確かにFはそう育てたかったのだと思う。 終戦直後の何もない時代に結婚し、0から家庭を築いて行ったFとMにとって、子どもが自分自身の力で生きていけるよう育てることは急務で必須だったに違いない。 その思いは次男である私より兄の方がより強く感じていて、彼は子どもの頃から独立心が旺盛だった。大学、大学院時代は山によく行き、院を出ると就職して(自分から志願して)清水へ行き、結婚して所帯を持ち、家庭を築いて行った。 私は私で、やがてヨーロッパへ放浪の旅に出るのだが、そうした下地をつくってくれたのは紛れもなくFだった。 今ここに小さい頃の花見の写真がある。 長崎市の北部にある浦上水源地の水辺で、Fの膝に抱かれてご満悦な私がいる。 M重工の花見の席で、寒かったことを今でもよく覚えている。 便利で物が豊かな今の時代の花見と比べたら、地味で質素な花見だったに違いない。だが、私にはかけがえのない豊かな記憶として残っている。 それは、Fがいつもやさしく見守っていてくれたからだ。 子ども扱いせずに真正面から向かい合い、真剣に会話をする。 Fのレッスンは今も私の中に生きている。 かずま
by odysseyofiska
| 2017-02-27 18:28
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