
建築をやっていると、ふとある時、普遍的なるものを追いかけている自分に気づくことがある。
そういうものが存在すること自体ありえない話なのだが、(特に建築では、)それでも心のどこかでそれを追いかけている自分がいる。
「建築の解は無限にある」(答は一つではない)というのは、建築家ならずとも建築に関わるすべての人が体験し知っている自明の理である。にも関わらず、一般の人はそれがあるかのような錯角を持っている。建築を学んでいる学生でさえも「先生、答を教えてください」と言うのがいるのだから、ギャフンと来る。
では、それが存在しないことを知っているにも関わらずそれを追いかけるのはなぜなのだろう。
それは、そういうものが存在する(少なくとも「自分自身にとっての」普遍的なるものは存在する)と信じ、それに向かって努力することでしか自分の案に対する確信は得られないからなのだろう。(確信の得られないものは実行に移すことはできない。)
しかし、獲得したはずの普遍的なるものは時と共に変化し、得たはずの確信と共に消えて、また新たな努力を一から始めることになる。
建築の行為はどこかシジフォスの神話と似ている。
かずま