
子供の頃初めて出会った表参道は、今とは違って人通りはそれほどでもなく、静かで穏やかな街だった。
坂道の途中にある教会も、今とは違って高い黒い木の塀で囲まれ、(中で何をやっているのかよくわからず)ちょっと神秘的で、前を通る度にドキドキした。ベンチでは、ひなたぼっこをする老人や毛糸の編物をする女の人が、日がな一日ゆったりした時間を楽しんでいた。中でもそうした雰囲気を自然と醸し出していたのが同潤会アパートで、その前を通る度に、なつかしいおじいさんやおばあさんに出会った時のような、なごやかな穏やかな気持ちになった・・・
それが無味乾燥でのっぺらぼうなファサードのビルに取って代わられた。
コマーシャルな店が前面に出て来て、それまであった味わい深い歴史の匂いや、草木や蔦の香り、そこに住む人々の息遣いは消えてしまった。突然、時間はせわしなくなり、人々も立ち止まることなく店内を歩き続けて・・・何と言うことはない、あの大好きだった建物は、ただのショッピングセンターに代わってしまったのだ。
主を失った表参道は急速に魅力をなくし、いつのまにか私には「他人の街」になってしまった。
だが、まだいい。表参道には美しい坂道とケヤキがあるから。
それに頭から冷水をかぶせられるような事件が昨年末から今年にかけてあった。
どこのバカが言いだしたのかわからないが、突然、表参道に(既存の街灯を囲むように)巨大で不細工な白い箱があっという間に出現したのだ。それも、ほとんどのエリアを覆うかのように、無数に。足元には企業のCMが描かれ、歩道を大きく占拠し、歩く煩わしさはこの上ない。
これがクリストの作品のように「そこに存在する物の意味を問い直す」というのならまだわかる。だが、そんな批判精神や芸術的な野心もなく、このバカバカしい箱は、クリスマスや正月に人々を引き寄せる、(以前あったケヤキのイルミネーションに代わる)コマーシャルな客寄せパンダとして作られたのだ。
だが、子供でもわかるだろう、それが表参道のケヤキと坂道の作る一番美しい景観を台無しにしていることくらいは。
このバカなデザイナーは夜のことしか考えなかったのだろう。しかも自分がいかに美しく見えるかしか考えず、昼間のことや、表参道の残された主であるケヤキと坂道への尊敬や、ましてやそれらをいかに美しく引き立てるか、などはこれっぽっちも考えなかったのだ。
オーナーに媚びを売る、ただのイエスマンで、デザイナーの風上にも置けない奴だ。
サッカーなら、一発レッドカードで退場だ。
この不細工な箱が撤去されて元に戻るまでの一月半は、表参道を歩く気がとてもしなかった。
かずま