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2016年 02月 27日
![]() 昨年11月13日パリで同時多発テロが起き、130人が亡くなった。 事件の起きたスタジアムや劇場、通りの地図を見ていたら、昔、放浪の旅をしていた頃、近くのカフェで食事をしたことを思い出した。 時間や場所が少し違っているだけで生死を分けた人もいるに違いない。 TVを観ているだけでは遠い国の出来事のように思えるかもしれないが、世界は確実に連鎖し、いつ東京で起きても不思議ではない状況は既にできつつある。それに対しのほほんとしていられるほど私は鈍感ではない。 何かの解決策はないものかと、年末年始は久しぶりにダライ・ラマの本を読もうと思った。(だが、Mが入院し、それどころではなかった。)実際に読んだのは2月に入ってからだった。 思い返せば、15年前のアメリカ同時多発テロの時もダライ・ラマの本を読んだ。それは直感的に、ブッシュは間違えている、これではテロを撲滅するどころか火に油を注ぐようなものだ、と感じたからだ。 初めてダライ・ラマの本を読んだのは大学院の吉阪研時代で、研究室の雑談の中でチベットとダライ・ラマの話が出て来たので彼の著作を読んでみたら一辺でハマってしまった。 言っていることはとても平明でわかりやすい。なのに深い知性と(時にはユーモアさえも)感じる。 それ以来、心に危機を感じた時はダライ・ラマの本を読むようになった。 彼の言葉には多くの真実がある。 どんなにひどいやり方で強制しようと、暴力は人間が根源的に求める 自由への願望を押さえつけることは決してできません。 怒りと憎しみこそが、私たちの本当の敵なのです。 これこそ私たちが全面的に立ち向かい克服すべき相手なのであり、 人生に時として現れる一時的な「敵」は真の敵とはいえないのです。 怒りや憎しみでは、痛々しい状況や問題を解決することはできません。 それらを解決できるのは、思いやりと真の優しさによる癒しだけなのです。 世界平和を持続するための手段は「思いやりによるゆるし」しかない ーそう私は思うのです。 たとえ過去に深く傷ついたとしても、怒りや憤りを手放すことができます。 我慢強さと寛大さでそのときの状況を冷静に分析すれば、 「過去は過去だ。だから怒りや憎しみを抱え続けていても意味がない」 ということに気づくことができます。 ゆるしの気持ちを身につければ、その記憶にまつわる負の感情だけを 心から手放すことができるのです。 ゆるしとは「相手を無罪放免にする手段」ではなく、「自分を自由にする手段」です。 寛容や忍耐を弱さのしるしと考えてはいけません。 私はそれを強さのしるしだと考えています。 結局のところ、人類は一つであり、この小さな惑星が私たち人間の唯一の故郷です。 こんな言葉もある。 自分の欠点に一つでも気づくことは、他人の百個の欠点に気づくことより、 ずっと有益なことです。 私たちは自分の苦しみの多くを自分の手で作っています。 不安に対処する有効な方法は、自分のことを考えずに、人のことを考えることです。 本当に人の困難を目にすると、自分のそれは大したことではなくなります。 もし私の国が侵略されなかったならば、おそらく私は今よりずっと保守的に なっていたことでしょう。 中国人は私を、強靭で決意の固い人間にしてくれました。 私は、自分を進歩させてくれた中国人に、感謝しているのです。 私はTVのニュースキャスターやコメンテイターのようにしゃあしゃあと正論を述べて、さも自分とテロリストは関係ないかのような振りはできない。 私の心の中にもいつも怒りと憎しみはある。 コンペやプロポーザルで負けた時や不当な扱いを受けた時、理不尽な状況に置かれた時は相手を殴ってやりたいとか殺してやりたいと思ったことは一度や二度ではない。 私もテロリストの素質は十分にある。 だが、そうはしない。 安直なその場限りの解決をするのではなく、それを糧に自分を飛躍させたい、一回りも二回りも大きくなって、もっと根源的で普遍的な人間になり、あの敗戦や出来事が私を成長させてくれたと感謝したいからだ。 それはダライ・ラマから教わった、というより、遠い昔、まだ物心もつくかつかないかの頃に毎日曜日、兄に手を引かれて通った長崎の教会での話から始まっているように思う。 仏教にせよ、キリスト教、イスラム教にせよ、宗教は確かに人の心を育てる。 世界の平和の持続のためには、そして一人一人の心の中からテロリストを無くすためには、心育が一番大切で確実な方法であり、武力や暴力はその対極の最も非有効的な方法だ。 今回、ダライ・ラマの本を読んでいて、その訳者として出てくるマリア・リンチェンが大学時代の後輩のMちゃんだと初めて知った。 Mちゃんは私の代がM1の時に早稲田祭の理工展で発表した「戦争ミュージアム」の夏合宿に参加してくれ、制作も手伝ってくれた。 その後、Nと結婚してダライ・ラマのいるダラムサラに移住したのは知っていたが、仏教哲学を勉強し、翻訳や通訳をとおしてダライ・ラマの布教活動を支援していることは知らなかった。 別の意味で、世界はつながっているのだと感じ、とても嬉しかった。 かずま
by odysseyofiska
| 2016-02-27 23:24
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