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2015年 10月 05日
一月程前、Mが病院に入院する騒ぎがあった。 ここ数ヶ月ボーッとして反応が鈍いので、そろそろ向こうの世界へ行ってしまうのかと心配していたが、血液中の鉄分が急速に減ってしまった所為(せい)らしい。 入所している施設の健康診断でわかり、近くの総合病院で調べたら、数値が悪すぎるので即入院することになった。 困ったことに私は数日後に出張がある。急いで清水の兄貴へ電話し、出張の間、Mを看てもらうことにした。幸い何事も無くMの体調は回復し、出張から戻った数日後に退院した。こういう時はチョンガーはダメで、やはり家族はいた方が良い。 Mのアルツハイマーは相当進んで、今では自分の名前をやっと言える程度にまでなってしまった。その主な原因は会話をしなくなったからで、自宅で家族と毎日会話をしている人とそうでない人ではまるで違うということを、FとMで二度に渡って実感した。(Fの場合は交通事故による高次脳機能障害が原因だが・・・) じゃ、お前がまた引き取って毎日会話をするか、ということになるが、その選択肢は残念ながら無い。 私の生もいつ突然途絶えるかわからない。私は生きてる間に自分が受けた恩恵を社会にきちんと還元したいと思っている人間なので、もう無駄な時間はあまり過ごしたくないのだ。 じゃ、Mを看ることは無駄なのかと問われると答えに窮するが、正直に言うと、Fの時ほど必然性は感じない。それは私がFの時に感じた愛情をMに感じていないからではなく、やはり肉親の生死を二度考えることによって、人間は人為的な力ではなく、より自然な姿で朽ち果てる方が良いと思うようになったからだ。 Fの時は清水から兄貴夫婦を呼ぶため人工呼吸器などを使ったが、たぶん、Mの時は管は使わないだろう。 と非情なことを言う私でも、毎週一回はMのいる施設に行く。そして食事を食べさせたり、車イスに乗せて館内を一緒に散歩したりする。(気候の良い今のような時分はできるだけ外へ連れ出す) 館内を散歩する時は必ず壁に掛かってる習字の字を読ませたり、そこにある絵や写真を切っ掛けに会話をしたりする。(それによってアルツハイマーがどこまで進んだかわかるし、それを遅らせることもできる) 以前は「楽」という字は「らく」に読めた。 そうそう、エライね〜、らくはたのしいってことだよ じんせいはたのしくなきゃ、ね!! などと言いながらいつもその字を見ていた。だが、今は読めない。口がモゴモゴして言葉にならないので、タイミングを計って「らく!」と少し早めに先導しながら言う。すると小さな声で「らく」と復唱する。 そうやって、館内を巡回する中で、いつも心を打たれる書がある。 I’ll hope to be happy everyday (私は毎日を幸せでありたい) 「花」や「心」「秋」など、お手本どおりに書いた他の書とは違って、明らかに自分のスタイルで自分の心を語っている。 私にはこの書は魂の叫びのように感じられる。 施設に入所し、(あるいは入れられ、)老い先が永くはないことを悟りながらも、いや、私はこうありたい!こうでなければ!!と叫んでいるように感じられる。 これは立派な芸術だ。 後先のない人が自分の存在意義を十分に意識し、それを残そうとする作品だ。 そして、こういう自分の意思をきちんと表現できる人を私たちは疎かにしてはならない 人を線引きすることは難しい。 それをあたかも当然のように政治や経済は一律の論理でおこなう。 だが、違う。人は身体の状態や脳の状態によってそれぞれ違うのだ。そして年老いても、なおかつ燃え続ける人もいる。それはなんて素敵なことだろう! 翻って自分のことを考えてみると、私は建築家で、ものつくりだ。最期の日まで現役でいたいと思っている人間だ。 ヨシザカの言葉を借りるなら「好きなことはやらずにはいられない」のだ。そして「自分の携わる建築が手放しで好き」なのだ。 村野藤吾やピカソ、尊敬するK工務店の会長のように、最期までずっと自分の好きなことを続けながら世界へ貢献したい。そしてそれができれば毎日は幸せだ。 I'll hope to be happy everyday かずま
by odysseyofiska
| 2015-10-05 21:29
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