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2015年 08月 24日
![]() クライアントのMさんは超多忙な人なので、フィリピンの仕事はいつも直前に1本の電話かメイルが来て突然スケジュールが決まってしまう。 で、14日から一週間フィリピンに行ってきた。 今回いつもより長いのは、マニラだけでなく、ミンダナオ島で牛を見てくれとのリクエストがあったからだ。 いやはや、何が始まるのだろう。 前日夜、トランクに荷を詰め込み、さあ寝ようとした矢先に元スタッフのYさんからメイルが来た。読んで呆然とした。私を育ててくれた工務店の会長Sさんが1月に亡くなったというのだ。Sさんとはこの所仕事をご一緒していないので、今度お頼みしようと考えていた最中だった。 床に就いてもこれまでのSさんとの出来事が走馬灯のように思い出され、とうとう眠れないまま朝が来た。その思いは成田に向かう車中や空港のラウンジ、飛行機が離陸して窓の外の景色を眺める間も途切れなかった。私は一つ一つの雲にSさんの墓碑銘を刻みながら眺めていた。 マニラに着いた。突然、別のスイッチが入った。 実は今回、日本から特殊なLEDの電球やトランス、コントローラーをたくさん持ってきたのだ。(船便では現場に間に合わず、航空便でも割れる恐れがあるので、結局自分で持って行くことにした) はたして税関をスルーできるだろうか・・・緊張した。 だが杞憂だった。呆気ないくらい簡単にスルーできた。トランクとカートを持って税関の前を何事もないかのように前を見ながら進んだら、呼び止められることなく外に出れた。 Sさんが私を守ってくれたのだろう。 現場に直行した。早速トランクとカートからLEDと器具を取り出し、1セット組立て、スイッチを入れて、5段階に変わる色温度や光の強さの変化を現場のスタッフに見せた。 ワォッ!である。それから事務所のMさんのつくった精巧な1:50の模型を見せた。 ワォッ!ワォッ!である。 こうなればしめたもので、現場のスタッフは皆私の言うことを聞く。ただ一人、現地側のボスのデザイナーのSさんを除けば。(でも、Sさんも前回あたりからぐっと私に歩調を合せてくれるようになった) 夜8時過ぎまで打合せをし、ホテルにチェックインしてシャワーを浴びた。 クライアントのMさんから電話が掛かってきたので11時頃食事をする。 その場で、明日は朝4時半にピックアップするが、大丈夫か?と訊かれる。 エッ!?と叫ぶと、明日は早朝の便でダバオ(ミンダナオ島の中心地)へ飛び、そこからヘリコプターで牛のいる場所に行くと言う。 ギョッ!?だ。 翌日、ほとんど眠れないまま定刻になるがMさんは来ない。1時間程遅れて車が来て、慌てて乗るとドライバーはF1のようにぶっ飛ばし、マカティから空港まで20分で着く。空港で4人の農業関係の大学教授と合流し、飛行機に乗る。 窓の外の雲や海を見ているうちに、ふと今日が8月15日であることを思い出した。 太平洋戦争で多くの命がフィリピンで失われた。 日本人だけでなく、アメリカ人も、フィリピン人も。 私の席は右側で見えないが、飛行機の左側には多くの命が散ったレイテの海が鎮かに横たわっている。70年以上前にそこで何があったかなど知らぬかのように。 死を覚悟して戦闘機に乗った人もいれば、のどかに牛を見に飛行機に乗る人もいる。 平和はいいな、平和でなければダメだな、と思った。 私がフィリピンのために頑張ろうと思う心のどこかには償いの気持ちと平和を永続的なものしたいと思う気持ちが常にある。 私は直接には戦争を知らない。だが、長崎で生まれたので、原爆の恐ろしさは小さい頃からよく知っている。そしてFやMから戦争中のことを聞く度にその悲惨さに思いを馳せた。 日本は今、平和な国だ。そして日本の最大の産業と輸出品は平和だ。 私は平和を輸出したいと思っている。それを世界中の隅々まで行き渡らせ、戦争を無くしたいと思っている。それはかつて愚かな戦争を起こした国の末裔だからこそできることだ。 善人なおもて往生す、いわんや悪人をや、だ。 食事をして早速牛を見に行った。 暑い。とても暑い。野原を簡易的に区切ったパドックに60頭ばかりの乳牛が放たれているが、水ばかり飲んでいる。無理も無い。彼らは皆涼しいニュージーランドからやって来たのだ。(指摘したので、翌日早速日避けのテントがパドック内に設けられた) 夕方、トラックで30頭が運び込まれ90頭になった。最終的には250頭の牛が放牧され、皆姙んでいるので、生まれる子供も入れるとさらに増えて500頭規模の牧場になる。だが、Mさんの夢はそれで終わらず、畑や果樹園も加えた総合的な美しい農場をつくることにある。その理想郷を描けと私に言ってるのだ。 図面が無いので土地の規模や周囲の状況がわからない。 それを言うと、OK、明日ヘリコプターで空からそれを見ようと言う。ウ~ン、凄い!! その日は土地の有力者が所有する別荘に泊まった。 翌日、再び牛を見に行き、ヘリコプターで空から敷地を見たが、緑の起伏のある丘や野原がエンドレスに続くので、どこからどこまでが敷地なのかさっぱりわからない。 Mさんの仕事はいつもこうしたぼやけた状態からだんだん視界が開けて最後に何かが見えて来るというのが常だが、今回はそれに輪をかけてよく見えない。だが、創造のプロセスとは多かれ少なかれこんなもんだ。 先ずはともあれ、牛舎と牧場、農場の勉強からスタートだ。 その日の午後、再びヘリコプターでダバオに飛び、マニラに戻った。 翌日も翌々日もヘリコプターに乗り、マニラ郊外のMさんの工場の視察や別件の仕事に同行した。その間にマカティの現場にも通い、監理や打合せをした。 最終日はいつものように早起きしてスケッチや報告書を整理し、空港に向かう車中でMさんに渡し説明した。 飛行機に乗り、窓の外の雲を眺めているうちに、再びSさんのことを思い出した。 Sさんが亡くなったのを聞いたのは一週間前だが、遥か昔のことのように感じられる。それだけフィリピンでのハプニングに富んだ毎日が強烈だった。 フィリピンはいつも私に軽いカルチャーショックを味合わせてくれる。 旅というのは皆そういうものだが、とりわけフィリピンはそうだ。 場所の感覚が目まぐるしく変わるだけでなく、過去に戻ったり、未来に思いを馳せたり、時間の感覚も目まぐるしく変わる。日本に帰るというのは、それをもう一度リセットして日常性に戻るということだ。そしてその両方を私は愛している。 あの雲のように自然体で変わりながら、素のままでありたい。 かずま ![]()
by odysseyofiska
| 2015-08-24 23:32
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