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2013年 12月 25日
![]() 人は何のために生まれてきたのだろう、と小さい頃からよく思った。 最初から何かのために生まれてきたわけではなく、生まれてきたから何かのために生きる、何かのために少しでも意義あることをして自分が生まれてきた意味を明らかにしたい、と思うようになったのは30才を過ぎてまもない頃だ。(ヨーロッパを放浪中、自分を塵、芥のように感じ始め、無に回帰するようになった頃だ) それまでは自分のために生きていた。自分の好きなことをするために生きていた。 だが、その頃から、自分よりもっと大きなもののために生きようと思うようになった。 それ以来、自分に執着しなくなった。どう見られようと、どう思われようとあまり気にならなくなった。(私が服装や食べ物に無頓着なのはそれ以前からの単なる習性に過ぎない) では何をすれば自分より大きなもののために生きられるか考えた時、私には建築しかなかった。始めた時は、自分には向いていない、向いていないと何度も思い、辞めよう、辞めようと何度もしたのに、それなりに10年間打ち込んできた結果、他には何の選択肢も残っていなかった。放浪の旅から戻って来て、気がついた時にはふたたび建築を始めていた。 私には本来建築家と呼ばれる人達が備えている能力が欠けているように思えてならない。 それは大学で習い始めた当初から感じているもので、論理的思考能力であったり、全体を見渡すバランス感覚であったり、相手を説得する緻密で構築的な話し方であったり、社会的なコモンセンスであったり、清濁を合せ飲む度量の大きさであったり・・・ そうしたものが備わっている人達に劣等感を感じながら、どこかで自分の中に別の要素を見出し、自分を勇気づけることで彼らと対峙してきた。 私にもし才能があるとすれば、それはたった一つで「感じる」ことだ。 外国の友達としゃべっていると、「お前の英語はおかしい」とよく言われる。 「I feel」でなく「I think」だろ?と言われる。 だが、私は癖で「I feel…」「I feel…」と言ってしまう。 つまり、そう感じているからで、実際、考えているのではなく、感じていることをただそのまま話しているに過ぎない。そしてそのやり方は昔から、そして今も変わらない。 私は考えることはしないが、感じることはいつもしている。 論理的な文章を読んでいても、何かのトリセツを読んでいても、やっていることはただ感じることだけだ。 そうやって一日24時間、365日感じ、探していても、 創造の神様がやって来るのはほんの一瞬に過ぎない。 次の瞬間にはまた暗闇と沈黙の世界に帰り、ふたたび戻っては来ない。 建築はその繰り返しだ。 ランボーの見た黄金色に輝く永遠の海もその一瞬だったに違いない。 かずま
by odysseyofiska
| 2013-12-25 17:12
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