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2012年 09月 03日
遅い夏休みを取り、久しぶりに軽井沢へ行った。 吉村順三の設計したハーモニーハウスを見たかったからだ。 簡素で何一つ無駄のない清潔な佇まいだった。 宿泊し、多くのことを学んだ。 美術館巡りもした。 軽井沢草花館、千住博美術館、ニューアートミュージアム、ギャラリー桜の木・・・と観て廻った。中でも現場監理の助っ人で通ったセゾン現代美術館は、外構の庭園が完成して以来初めて観たので、伸び伸びしたその構成と美しい緑に心洗われる気がした。 文学狂のU君から勧められた信濃追分にも行った。 ここは古くは中山道と北国街道の分かれる宿場として栄え、旧脇本陣の油屋は(一度火事で消滅したが再建され)今でもその面影を残している。 堀辰雄や彼を慕う立原道造、福永武彦、大御所の芥川龍之介や室生犀星、川端康成など多くの文学者が滞在し、交流した。今でも多くの文学者の別荘がひっそりと佇んでいる。 堀辰雄の住まいの残された文学記念館に行った。 中学時代、初めて彼の名を知った「辛夷の花」の冒頭の一節(正確には、その元になった葉書の書き出し)が碑に刻まれていた。 春の大和に往って、馬酔木 ( あしび ) の花ざかりを見ようとして 途中、木曾路をまはつてきたら、思ひがけず雪がふっていた 読んでいて、あの頃の自分を思い出した。 あの頃から私は随分遠い所まで来てしまった。 だが、どこかで時間は止まったままだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 人は誰でも生きて行く上で幾つかのターニングポイントと出会う。 私の場合、17才の頃の反抗と失敗と挫折の日々(それまで牧歌的かつ無自覚に歩んで来た人生のレールから意識的に外れる努力をした)は最初の重要なターニングポイントだ。 それが無ければ今日の私は無い。 次に重要なターニングポイントは、30才の時の9ヶ月に及ぶヨーロッパ放浪だ。 これによって私は多くの自由を獲得することができた。 だが、好むと好まざるとに関わらず大きかったのは、30代の終わりに経験したFの交通事故だ。一命を取り留めたが、Fの左脳は破壊され、高次脳機能障害になった。 Fがいたからこそ、そしてずっと守ってくれたからこそ、私は自由に生きることができた。今度は私がFを護ろうと思った。 離婚して両親を引き取り、Fを看ることにした。 Fと暮らした14年の月日は宝物だ。ほとんど時間が止まったようなゆったりした流れの中で、改めてFの良さを発見し、多くのことを学んだ。 Fが逝ってから半年程経って、今度はMの認知症が始まった。 F=命で生きて来たMにとって、その喪失感は大き過ぎたのだろう。 Mの介護が始まった。 だが、無垢で素直なFとは正反対のMの介護はストレスの連続だった。 正直、投げ出したいと思ったが、Fと同等のことをするのは義務だと思い、続けた。 コンロの火の点け忘れなど危険な行動が始まったのでとうとう施設に入れることにした。 休みの日には会いに行くが、Mの身の回りを看る必要はほとんど無くなった。 Fの交通事故以来長く続いた両親の介護からやっと解放された。 と思ったら、それまで身体の奥に溜め込んでいたストレスがタガが外れるようにワッと出て来て、今度は私の身体の変調が始まった。 病院通いが始まった。 そして今、それは一つ一つ恢復しつつある。 私ではなく先生の地道な努力のおかげだが・・・ 久しぶりにジャズのライブを聴きに行った。 映画館へ行って生の映画を観た。 長らく遠のいていた美術館へも行き、ゆったりした時間を過ごした。 昔やっていたことを一つ一つ復活するうちに私の中で眠っていたある思いが目を覚ました。 もう一度きちんと建築をやりたい 建築家にとって40代から50代にかけては最も脂の乗り切る充実した時期だろう。 もちろん、私もそれを経験しているはずだし、限られた時間の中でメンバーに支えられながらそれをやったはずなのだが、どこかでそれに集中できなかった、もっと多くのことがもっと濃い密度でできたはずだ、という漠然とした思いが心の中に残っている。 それが目を覚ましたのだ。 もう一度、あの時間が止まった所に戻って、もしくは、ゆるやかな時のはじまりに戻って、そこから時を動かしたい。そしてやり残したことをすべてやりたい。 私はまだ何もつくっていないし、何もいいことをしていない。 これからが本当の私の時間だ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 文学記念館の庭の外れに小さな書庫があった。 堀辰雄はその完成を楽しみにしていたが、それを見ることなくこの世を去ってしまった。 堀辰雄の文学はある意味、青春のままで終わった。 だが、だから永遠なのだ。 読む人の心の中に永久に残り、何度でもそれは再生し、反芻される。 私の失った時間も、もちろん帰っては来ない。 だが、どこかで再生し、私の中で今という時と共に再び新しい時を刻むだろう。 風立ちぬ いざ生きめやも かずま
by odysseyofiska
| 2012-09-03 00:50
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