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2011年 07月 22日
好きだった2人の人間が相次ぎ死んで、少し混乱している。 原田芳雄と中村とうようだ。 一人はガン、一人は自死した。 一人は映画俳優、一人は音楽評論家で、二人の接点はまるで無い。 だが、私の中ではつながっている。 原田芳雄に初めて出会ったのは、「赤い鳥逃げた?」(1973)という映画だった。 大学に入って間もない頃、文学部にニセ学生で聴講に行った帰り、隣の体育館で自主上映しているのを偶然観た。 長髪でワイルドで男の匂いがムンムンしてて、ドスの聞いた声でぶっきらぼうに話す演技は存在感たっぷりだった。特にラストの激しい銃撃戦の中、車で暴走するシーンは画面から飛び出すような迫力だった。 日本にもこんな俳優がいたのか!と思った。一辺でファンになった。 この映画のストーリーはよくは覚えていない。だが、東大安田講堂事件(1969)やあさま山荘事件(1972)で学生運動が急速に鎮火し、やり場のなくなった若者の鬱屈した感情や、時代の閉塞感のようなものが色濃く反映していたことだけは覚えている。 たぶん、今観ればそうとう荒い映画だと思う。だが、その時感じたシンパシーは未だに私の中で生きている。 たぶん、原田芳雄という俳優は(私以上に)そういうシンパシーを求めて漂流し続けた俳優なのだと思う。青春の頃に感じた何かを信じ、その価値を求めて燻り続ける思いを完全燃焼するために、彼は何度も似たような映画に出ている。 そしてファンである私はそれに付き合った。 (写真は「われに撃つ用意あり」(監督:若松孝二 1990) 同じく若松孝二の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(2007)のナレーションも彼はノーギャラで担当している) 反骨とか反体制と口で言うのは簡単だ。 だが、それを実践し、ずっと続けるのは並大抵のことではない。 原田芳雄という俳優の全ての作品にはそれが通底している。 たとえ商業映画やテレビドラマであったとしてもだ。 彼の歌うブルースはとてもよかった。 特に「プカプカ」は最高だった。 中村とうようの名前を初めて知ったのは「ニューミュージック・マガジン」だった。 たぶん70年代末だったと思う。 当時、私はジャズから入ってレゲエ、ワールドミュージックと視野が広がって行く最中で、偶然読んだその雑誌で、さらに視野が広がって行くような気がした。すべての音楽をパラレルに扱う感覚はとてもみずみずしく、音楽に対する偏見が無くなり、垣根が取り払われるような瞬間だった。 その彼が「大衆音楽の真実」(ミュージック・マガジン 1986)を経て、集大成としてまとめたのが「ポピュラー音楽の世紀」(岩波新書 1999)だった。 この本を読んで、初めて私はポピュラー音楽の世界の見取図を持った。この本を羅針盤として初めて自由にポピュラー音楽の世界を航海できるようになった。 この本の凄さは先ず第一に、20世紀に起こったポピュラー音楽(個人的な才能によって作り出され、大衆の代弁者として広く市場で支持されるようになった音楽)の歴史と地理をわずか230ページの新書の中に閉じ込めたという荒技の凄さだ。 多くのジャンルの本の中で、このように世界中で同時に起こっている出来事を時空を束ねて定着させるのに成功した本を、私は他に知らない。 それは長らく世界中のポピュラー音楽と接し、ただ楽しむだけでなく、社会との関係の中で考え続けて来た中村とうようだからできることなのだ。 次に、この本は通り一遍の教科書本ではなく、中村とうよう自身の感じ方、考え方がいろんな所に披瀝されていて、おもしろい。 特に、アメリカやヨーロッパの、それまでメインストリームと位置づけられて来たポピュラー音楽にこだわるのではなく(むしろそれに対しては批判的で)、その周縁にスポットを当ててパラレルに論じている点が新鮮だ。 その結果多くの逆転現象が起き、目から鱗の意見がたくさん出て来る。 テレサ・テンへの(アジアの癒しという観点からの)絶大な評価は(個人的な好き嫌いを超えて)説得力がある。 電子音楽やネット配信を経て20世紀が終わろうとする最後に再び脚光を浴びたのは、ヌスラット・ファテ・アリー・ハーンやサリフ・ケイタを代表とする生身の人間の「声の力」だったという結論には深く勇気づけられるものがある。 こうした「中村とうよう史観」には賛否両論あるだろうが、彼がただの時流に乗った音楽紹介屋やゴマスリ評論家ではなく、時には時代に棹さし、自分の心に真摯に生きようとした人間であることはよくわかる。それが結果的に過ぎたのだろうか・・・ 自分に影響を与えてくれた先達を失い、うっすらと悲しい。 ブルースをそっと聴いた。 かずま
by odysseyofiska
| 2011-07-22 23:20
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