
今日は私の誕生日だ。満100才になる。(ウソである)
この写真は満1才の誕生日に撮られたもので、さすがに記憶はないが、4、5才から以降のことはほとんど覚えている。
父の転勤で東京に移ったのが小学校2年の時、以来ずっと東京に住んでいるから、長崎生まれの東京育ちということになるが、私の意識の中では、長崎生まれの長崎育ち、以後東京に来たとしか思っていない。それ程、私は長崎と長崎時代が好きだ。そして東京は未だにしっくり来ない。(表参道は別だが・・・)
このことは、私より4つ半年上で、多感な中1の時に東京に来た兄の場合はもっと顕著で、彼は東京が嫌いで、大学を出ると同時に清水へ行き、今もそこに住んでいる。
私も表参道の次に好きな場所は横浜だ。
要するに私達兄弟は自分達のしっくり来る好きな場所の向こうにいつも長崎を見ている。なぜなら、それが黄金時代だったからだ。
兄と比べ、私の場合、それはわずか3、4年の記憶に過ぎないのだが、宝石のような時間を生きたことを今でも覚えている。
好きな小説に堀辰雄の「幼年時代」と福永武彦の「幼年」がある。
どちらも幼年期の記憶を意識の流れに沿いながら記述したものだが、特に前者は、いつも空っぽの空を見ながら夢想するのが好きだった私には、読んでいてほとんど自分を見ているような気がしてくる。
後者には、それが現在へ、そして未来へとつながり走って行く列車なのだという魅力的な記述が出てくる。
人は過去から逆に照射を受けて未来を紡ぎ出しているといつも思うのだが、いつかこうしたことを二人とは違った方法で定着させ、私の黄金時代を形化できたなら、とてもうれしい。
かずま