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2023年 01月 31日
![]() 世田谷美術館で「祈り・藤原新也」展を観た。 藤原新也は写真家であると共に、旅人、作家、思想家でもあり、私や私たちの世代へ影響を与えた人の一人だ。その彼が70代後半を迎えて、その集大成とも呼べる展覧会を、生まれた北九州、そして東京で行った。 (つづく) Odyssey of Iska 150-0001 渋谷区神宮前2-6-6-704 tel. 03-5785-1671 #
by odysseyofiska
| 2023-01-31 17:10
2022年 12月 09日
![]() とりわけ愚かだったのは、大国が自国の利益のために隣国を襲った行為だ。 しかもその隣国はかつては兄弟だった国で、共に未来に向かって歩んでいた国だ。 自分のことばかり考えると周りが見えなくなる。そして自分自身も見えなくなる。 善悪の判断の基準は全て自分で、自分の立ち位置からしか物事を見なくなり、 都合の悪い事は嘘と言い包め、都合の良い嘘は真実に塗り替えられる。 心が失われていく。心の基盤であった愛も失われていく。 世界がどんどん力と物と金の世に変わっていき、それを基準に全てが語られる。 文明の進化や繁栄とは逆に、心と愛はどんどん貧しくなっていく。 世界は滅亡するかもしれない。愚かな者達のために。 だが、ここに一縷の望みがある。パンドラの箱の底に残ったエルピスのように。 私は教育の場で時を共にしたので、これからの未来を託す若者達を信頼している。 世界がどんなに暗くなっても、希望の光を忘れたくない かずま #
by odysseyofiska
| 2022-12-09 18:27
2022年 11月 11日
![]() 日、月と大阪に用があり、出かけた。 途中下車して、京都で降りた。「GALLERY GALLERY」が12月末に閉館するので、その前に一度見ておきたかったのだ。 早朝の新幹線で出かけたので、9時前に京都に着いた。ギャラリーが開くまでには3時間くらいある。ふとJazzが聴きたくなった。 Jazz喫茶をスマホで検索すると何件かヒットした。さすがに私が昔行った「しぁんくれーる」「フレンチクォーターラブ」「Big Boy」「Bluenote」はない。 日曜日の、しかも朝9時から開いてるJazzの聴ける店なんて無いだろうと思っていたが、なんと1軒あった。電話をかけると「やってます」と言う。 場所は北大路通沿いの大徳寺のそばだ。久しぶりの京都なので北大路駅からゆっくり歩くと、大徳寺を過ぎた辺りにその店「Cafe Zino」が見えてきた。 階段を7、8段上ってドアを開けると、窓側に4人席のテーブルが2つあり、先客の女性がいた。私は普段は窓側が好きなのだが、マスターと話がしたかったので、誰もいないカウンター席にした。 クラシックが掛かっていた。確かに店の入口には「軽音楽と炭焼珈琲」と書かれていたし、店の雰囲気もそんな感じだ。初老のマスターに挨拶し、スマホでJazz喫茶を検索したらこの店が出てきたと伝えると、「ウチはJazz喫茶ということになってるらしいですね」と小さく笑いながら言う。 壁側にはLPやSPレコードが3000枚くらいある。聞くと、そのうちの1000枚くらいはJazzだと言う。ジャンルは?と聞くと、1920年代くらいからの古いのが多いですね、と言う。(私の持ってるレコードで一番古いのはサッチモの「1928」で、それ以降は30年代がチョロ、40年代がチョロチョロで、50年代以降がほとんどだ。)じゃ、ビックス・バイダーベックなんかも?と聞くと、ええ、ありますよ、と言う。でも、Jazzを聴く切っ掛けは、やはりモダンジャズからだと言い、(丁度、掛かっていたクラシックの片面が終わったので、)マイルス・デイヴィスの「Cookin'」のA面「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」を掛けてくれる。 私がJazzを聴く切っ掛けになったのは、1973年にソニー・ロリンズが日本に来てNHKで演ったライブを偶然聴いたからで、その時はそれがJazzだと知らなかったと言うと、サキコロを出してきて掛けてくれる。しかもLPは2枚あって、アメリカ版はジャケットがロリンズの白黒写真で、この方が音がいいと言う。 チンさんと剛さんの話をすると、剛さんの名作「Misty」を出してきて、これまた掛けてくれる。そして、この盤は実は4枚あり、全て持っていて、最初のと後のでは音の造り方が違うと言う・・・ いやはや、なんのなんの、筋金入りのJazzマスターだ。 出してくれた炭焼珈琲もコーヒーゼリーも美味しく、話の合間も身体の悪い常連さんへの気遣いやサポートも素晴らしく、久しぶりに心から癒された。 本当はもっと居たかったが、ギャラリーの開く時間が近づいてきたのでお暇した。 京都に来たら、これからは必ず寄りそうだ。 その交差点から見える寿ビルディングの5階に「GALLERY GALLERY」はあった。 (この建物は登録有形文化財に指定されていて、1階にはその展示もあった。) 奥にエレベータもあるが、5階なので、できた当時を思いながら歩いて上がった。 階段を上りきった所にドアが招き入れるように開かれていた。 中では、ばんばまさえさんのテキスタイル展が開かれている。 ギャラリーのオーナーのKさんが不在なのは事前のメイルで知っていたが、主不在のギャラリー内をまるで居るかのように会話しながら歩いてまわった。 窓からの白い自然光がやわらかく降り注ぎ、室内の古い壁や床や天井も白く塗られ、まるでニューヨークのソーホーのギャラリーのようだ。 展示スペースは十畳程で小さいのに、ミクロコスモスな茶室のように感じられる。 ガラス越しに外から中が見えるのも、なかなかチャーミングだ。 忘れられない空間の一つになった。 他の部屋の本屋や洋服屋、ギャラリーも面白かった。 気がついたら1時間半もこの建物にいる。 後ろ髪を引かれる思いで、京都河原町から大阪梅田に向かった。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-11-11 14:34
2022年 09月 24日
![]() 中学時代の恩師T先生が亡くなり、追悼文集を作る話がメイルで送られて来た。 T先生は国語の教師で、愛嬌のある少し小太りな容姿と、心の機微に触れる授業は生徒からも人気が高く、名前が俊三なので「俊ちゃん」と呼ばれ慕われていた。 私は外部から来たので、入学当初は何もかもが新鮮で、かつ不安だったが、俊ちゃんはいつも温かく、冗談を言いながらよくかわいがってくれた。 二つ返事でOKした。 書きながら当時のことが蘇ってきた・・・ * * * 附中に入学して最初に驚いたのは、数学の教科書がガリ版刷りのわら半紙で、集合や論理など、それまで一度も聞いたことのない内容が書かれていたことだ。それは数年後に採用される教科書を先取りした授業で、我々はモルモット(でもある)ということを初めて知った。(じゃ、そのコマッちゃんの授業は面白くなかったのかというと全く逆で、とても面クロかった。初めて知ることは何でも楽しい。) それと同じくらいユニークな教科書は3年の時に俊ちゃんから配られた、文芸評論や小説の一節、詩、手紙、日記、新聞記事など、日頃から俊ちゃんが気になってる文章や題材をランダムにまとめた本で、これはきちんと製本され、(記憶が正しければ)濃い緑色の紙で巻かれていた。そして授業で俊ちゃんはそれらを縦横無尽に読み解きながら、楽しそうにみんなに解説してくれた。(普段は誰かを指名し読ませたが、好きな詩や文章になると自分で音読して、細かなニュアンスまで熱っぽく語った。) 私はそれまで漠然と(読書が好きだ)くらいに思っていたが、初めて(日本語が好きだ)、特に(日本語の言葉の響きは好きだ)という風に目覚めていった。 「ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん」「ホラホラ、これが僕の骨」「ポッカリ月が出ましたら、舟を浮べて出掛けましょう。」など中也の詩が多く出てきて、おかげで中也の詩集を買い、その言葉の響きと音楽のような感覚に酔いしれた。そしてその延長上にあるランボーの詩も好きになった。 詩だけでなく普段の文章も、書きながら何度も読むことで日頃から自分のしゃべる言葉により近づき、息継ぎのブレスの大切さやリズム感の大切さも感じるようになった。 こうした身体で言葉を感じるようになる切っ掛けは、俊ちゃん読本とその熱意溢れる授業にあったと今改めて感じる。 後年、私はある大学で19年間非常勤で建築の設計を教えたが、4年生のテキストで「発想法のトレーニング」と称して自分の好きな建築や建築家の作品を20程選んで、その写真や図面を編集したコピーを配り、「さあ、この建物のどこが面白いのか、説明してごらん?」という授業を学生に行った。ともすれば固くなりがちな頭を柔らかくして柔軟な発想を身につけてもらいたいと思ったのだが、その授業の源は俊ちゃん読本から来ていることにこれを書きながら気づいた。(今回の追悼文の制作過程で、俊ちゃん読本は正しくは「読み取りの力」と言うのだとツーちゃん(辻信作)から教えてもらった。) 良き師、良き思い出に深く感謝する。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-09-24 17:21
2022年 08月 09日
![]() 以前、blogにも書いたが(https://odysseyi.exblog.jp/241259853/) 、美郷町に行くのは遊びではなく、昨年度行った2つの施設の改修の基本構想・基本設計に引き続き、実施設計を行うためだ。だが、私にはそれは単なる仕事と言うより、懐かしい大好きな人達に会いに行く旅、とでも呼んだ方がよいような楽しい旅で、盛岡を過ぎ、田沢湖、角館、(Mさん、D君と待合せの)大曲が近づいてくると、少し心が浮き浮きしてくる。そして、D君の運転する車に乗って、昨日の雨は凄かったですよ、ヘェ〜、東京は暑かったよ、などと近況を話してるうちに名水市場湧太郎に着く。 今回の目的は、2ヶ月前に来た時の調査をさらに徹底して行い、実施図面に反映するためで、最初に倉庫内の物品チェックを行い、いらないものは整理して、いるものはどこに置くかを具体的に決めて行った。こうすることで、スペースの無駄がなくなり、使い勝手もよくなる。 建築家が何でそんなことまでするの?と言われそうだが、結局そこまで踏み込まないと、本当にいいものにはならない。おかげで、少し汗だくになった。 昼になったので、前回、時間切れで行けなかった「ゴマシオキッチン」に行く。 ここはテーブルが4つしかないので、埋まってたらアウチだが、運よく空いてた。 (美味しいよモロッコは、とメニューに書かれてあったので)モロッコゴハンと、 (名古屋の名店「喫茶Jaaja」の名物ドリンク、とメニューにあったので)ピニャコラーダを頼む。最初にドリンクが来たので、その下のコースターをしげしげと眺める。 あんまりガンバると死ぬよー ダメに生きよう まるで私の心を見透かし、(ひょうきんな振りをして語る)友人の言葉のようだ。 MさんやD君のコースターの絵と言葉はもちろん違う。少しエッチで、どこか温かい。もし、これが毎回馴染み客の顔を見て、ドリンクを出す前に描かれていたら、天才だ。出てきたゴハンもドリンクもどこか懐かしい味がする。 だから、ここに来るとついつい長居をしたくなる。 午後は再び湧太郎に戻り、仕分けの残りと、観光案内休憩所に移す湧水の展示物や展示の仕方について、担当のKさんやFさん、施設運営担当者達と一つ一つ現物を見ながら話し合う。 夕刻になったので湯とぴあ雁の里温泉で一風呂浴びて、横手のホテルに向かう。 今回、美郷町ではなく横手に泊まるのは、竿灯まつりとぶつかって、どこも一杯で取れなかったからだ。 恐るべし、秋田竿灯まつり!!!!! 次の日は朝食を早く食べて「やぶ前」に行き、グラフィックデザイナーのSさんと落ち合う。前回のblogでも書いたが、Sさんは単なるグラフィックデザイナーの枠を超えて、時代の空気や新しい価値観を先取りするセンスがあり、美郷町を相対化して眺める視点も持っている。 Sさんを心強いサポーターにして、名水市場湧太郎と観光案内休憩所の使われ方や企画、展示、家具、造作などについて話し合う会議に出る。 実は、私がこの会議を要請した。というか、ここでの空気感やゆったりした時間の流れを大切にして、それを皆のコンセンサスとし、設計につなげていかないと、ありきたりでどこにでもあるような公共建築になってしまうような気がして、怖かったからだ。 最初に「忌憚のないご意見をお聞きしたいので、ざっくばらんに話してほしい」と言ったが、その通りに、「無目的ホール」や「無目的スペース」「公園」「無駄」「余白」などの共通イメージが皆の口から出てきた。誰かの一存でデザインを決めるのではなく、こういうイメージを皆で共有することはとても大切なことだ。 おかげで皆と考えている方向が一致したので、私は少し心が安心した。 午後は構造、設備と、2つの現場で具体的に建物や空間を見ながら話合いをした。 なんとなく、設計のゴールが霧の中から見え始めてきた。 珍しく、夕方5時前に全ての予定が完了した。 そのまま、MさんとD君に大曲まで送ってもらい、 予定していた新幹線を1本前倒しして帰京した。 美郷町は水に恵まれた町だが、 それ以上に人と空気に恵まれた素敵な町だと思う。 奄美やマジュロ島と同じくらい好きだ。 かずま #
by odysseyofiska
| 2022-08-09 19:56
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