答えはどうもならない。
嘘だと思うなら、手ぶらで一月くらい外国へ行ってみたらいい。
私は9ヵ月間日本の新聞を読んだりTVを見たりすることなく旅をした経験があるが、それによって別段困ったわけではない。
(丁度その頃、ロサンゼルス・オリンピックがあり、マラソンで日本人の最高は4位だと聞き、「瀬古は4位だったのか」と思っていたが、実は4位は宗猛で、瀬古は14位だったと日本に戻って知ったのが、唯一のエッ!?だった)
むしろ情報から解き放されて自分が動物的に敏感になり、無意識のうちに即断即決した思いがある。(でないとすぐトラブルに会う)
情報は数ではなく、有益か否か、切実かそうでないかの選別の方が重要だ。
そういう意味では、スマホから入ってくる情報の9割以上が無駄で無益で暇つぶしに過ぎない。それらの情報の多くは1次情報ではなく2次、3次、4次‥情報で、自分で考えたものではなく単なる受け売りか少し加工した程度で、薄っぺらで深みがなく、知っても知らなくてもいいようなものばかりだ。少なくとも喫緊を要するものではない。
私は(3.11や9.11のような大事件は別として)昔からTVの情報より新聞や書物から得る情報の方が有益で好きだ。書くことによって推敲が深められ余分なものがそぎ落とされている。
また、新聞や書物は急いでいる時は飛ばし読みできるし、じっくり時間がある時はそれに没頭して読むこともできる。それによって感動や知的興奮を得ることもできる。
だから電車の中では本を読む。そしてそれは至福の時間だ。
そうした至福の時間の中で読んだ本にミヒャエル・エンデの「モモ」がある。
もう40年近く前の話だ。だが、それがまさか現実のものになるとは思っていなかった。
物語の中でモモは最後に時間泥棒から時間を取り戻すが、それは忙しさの中で生きることの意味を忘れてしまった人間への警鐘だった。だがその後、時間泥棒はスマホやゲームに姿を変え、便利さの中でただただ時間を消費する人間をどんどん増やし続けている。
現代はふたたびモモを必要としている。
先日、ウチの事務所のS君が出張先の山の中でハチに驚き、スマホを投出して壊し、連絡がとれなくなる事件があった。その後、しばらくS君はスマホの使えない日々が続いた。
私はそれが永久に続けばいいと思った。
だが、やがてS君のスマホは復活し、通勤電車の中で寝るかスマホをいじるかゲームをするかの毎日も復活した。
彼の今度の誕生日には「モモ」をプレゼントしようかと思う。
だが、その意は通じないかもしれない。
マンガを読むのは得意だが、文字は苦手だから・・・
かずま