新しい事務所に移って一月近くが過ぎた。
私は天の邪鬼なので、毎回違うルートで通うようにしている。
最初は今までいつも降りていた「表参道」から伊藤病院、ロイホ経由でいくつかのルートを開拓してみた。わざと遠回りして青山通りから通ったこともある。
これらは(何となく知っているので)あまり変化が無かった。
次に「明治神宮前」から明治通りとキャットストリートに挟まれたゾーンを抜けて通ってみた。今までとは見え方がグッと変わって新鮮だった。特に路地裏の住宅と店舗が混在する辺りを抜けて行くのは毎回新しい発見があっておもしろかった。
次に「外苑前」から通った。長くいた表参道や青山とはこんなに近くなのにオフィスや学校の匂いがして、(へー、そうなんだ〜)と思った。
「北参道」から通うと、住宅ゾーンを抜けて行くので、静かでおとなしかった。
「国立競技場」から通うと、東京体育館や国立競技場の前を抜けて行くので、スケール感がまるで違って感じられた。
こうした散策の折りに小さな喫茶店や食べ物屋を探し、気に入った店には後で行くようにしている。(先日は気に入った店を一つ見つけた。今度はランチではなく、夜行ってみよう)
私は昔からまち歩きが好きだ。
それは人の息遣いと温もり、小さな工夫と英知、生き生きした感情を発見できるからだ。
そうしたものは歩いてしか(時には立ち止まってしか)わからない。
車でまちを見ると、それらの具体的なものがすべて抽象化され、(一つのトーンとしては感じられても)肉感的に確かな感覚までには行き着かない。だから不安になる。
私は今まで仕事でマニラに30回以上行った。
だが、いつも空港とホテルとMさんの事務所とジョブサイト(現場)とレストランの間を車で行き来するだけなので、未だにマニラがどういうまちなのか把握できていない。
前回行った時に車中で地図を拡げながら外の景色を追いかけたが、やはり無理だった。
反対に、30才の頃に放浪したヨーロッパのまちはすべて歩いた(一日だいたい14、5キロ歩いた)ので、今行っても身体がまちを覚えている。だから不安を感じない。
私は今でも初めての敷地を見に行く時は、わざと遠回りしたり、いろんなルートからアプローチしたり、無駄なことをたくさんしながら、敷地(点)ではなく、それが置かれたまち(面)を歩いて見て、そこから建築を考えようとする。そうでないと不安になる。
この感覚は建築家なら当然だろうと思うが、そうではないという人も時々いるので、さしずめ私は「地べた派」なのだろう。
この、地べたに這いつくばってすべてを感じ、それを拠り所にまちや建築を考えるという姿勢は(たぶん本能的に昔からあったのだが、)決定的だったのは大学院の研究室での2年間だった。
ヨシザカに感謝したい。
かずま